兄のジャン=ピエールは1951年4月21日、弟のリュックは1954年3月10日にベルギーのリエージュ近郊で生まれる。リエージュは工業地帯であり、労働闘争のメッカでもあった。ジャン=ピエールは舞台演出家を目指して、ブリュッセルへ移り、そこで演劇界、映画界で活躍していたアルマン・ガッティと出会う。その後、ふたりはガッティの下で暮らすようになり、芸術や政治の面で多大な影響を彼から受け、映画製作を手伝う。原子力発電所で働いて得た資金で機材を買い、労働者階級の団地に住み込み、土地整備や都市計画の問題を描くドキュメンタリー作品を74年から製作しはじめる。同時に75年にはドキュメンタリー製作会社「Derives」を設立する。
78年に初のドキュメンタリー映画“Le Chant du Rossignol”を監督し、その後もレジスタンス活動、ゼネスト、ポーランド移民といった様々な題材のドキュメンタリー映画を撮りつづける。86年、ルネ・カリスキーの戯曲を脚色した初の長編劇映画「ファルシュ」を監督、ベルリン、カンヌなどの映画祭に出品される。92年に第2作「あなたを想う」を撮るが、会社側の圧力による妥協の連続で、ふたりには全く満足できない作品となってしまう。
前作での失敗に懲りた彼らは、第3作『イゴールの約束』では決して妥協することのない環境で作品を製作、カンヌ国際映画祭国際芸術映画評論連盟賞をはじめ、多くの賞を獲得するなど、世界中で絶賛された。続く第4作『ロゼッタ』ではカンヌ国際映画祭で最高賞にあたるパルムドール大賞と主演女優賞を受賞、本国ベルギーでの成功はもとより、フランスでも100館あまりで公開され大きな反響を呼んだ。さらに02年、第5作『息子のまなざし』でもカンヌ国際映画祭で主演男優賞とエキュメニック賞特別賞をW受賞。05年カンヌ国際映画祭にて第6作『ある子供』では史上5組目(他4組はフランシス・F・コッポラ、ビレ・アウグスト、エミール・クストリッツァ、今村昌平、2012年にミヒャエル・ハネケが2度目の受賞)の2度目のパルムドール大賞受賞者となる。第7作『ロルナの祈り』では08年のカンヌ国際映画祭において脚本賞を受賞、第8作『少年と自転車』は11年の同映画祭グランプリを受賞。史上初の5作連続主要賞受賞の快挙を成し遂げた。そして本作『サンドラの週末』で異例の6作品連続のカンヌ国際映画祭コンペティション部門出品を遂げた。
近年では共同プロデューサーとして若手監督のサポートも積極的に行っており、マリオン・コティヤールとは共同プロデューサーとして名を連ねた『君と歩く世界』で出会った。名実共にいまや他の追随を許さない、21世紀を代表する世界の名匠である。
―サンドラの週末はどのように生まれたのでしょうか。
リュック・ダルデンヌ(以下L):ヨーロッパが今直面している経済的、社会的危機からです。数年前から、同僚たちの多数決で解雇されそうになっている人物についての映画を考えていました。『サンドラの週末』は、逆境にあって結束する夫婦、サンドラとマニュを思いついた時に本当の意味で生まれたのです。
ジャン=ピエール・ダルデンヌ(以下、J-P):私たちにとって重要だったのは、「弱いから」「十分な働きがないから」と言って誰かが排除される事態を示すことでした。この映画は、そんな「働きのない人」への応援歌です。彼女は夫と共に戦うことを通して、勇気と力を取り戻すのです。
―マニュは週末に投票を考え直し、彼女がもう一度雇用されるよう同僚を説得しに行けとサンドラに促します。彼の役割はきわめて重要ですね。
J-P:マニュはサンドラの「コーチ」のような存在です。彼は、可能性はあるのだ、同僚に意見を変えさせることは可能なんだ、と納得させるに至るのです。
L:同僚たちはサンドラに不利な投票をしますが、そのことでサンドラが同僚にやましい思いをさせたり、彼らを非難する犠牲者のように見えてはならないと思いました。これは“悪い奴ら”と“可哀想な女性”の戦いではないのですから!
―あなた方は登場人物たちの誰をも裁いていませんね。
L:この映画に登場する労働者たちは常に競争、競合の状態に置かれています。良い・悪いでは判断できない。そのように世界を見ることに私たちは関心がありません。
J-P:映画は裁判所ではありません。サンドラの同僚は、みなイエスであれノーであれ、それを選択するだけの十分な理由を持っています。ひとつ確かなことは、ボーナスは彼らにとって贅沢ではないということです。彼らはみな、家賃を払うため、請求書の支払いのため、そのお金が必要なのです。サンドラは、彼女自身財政的な困難の中で奮闘しているだけに、それが分かっているのです。
―サンドラは夫と子供たちと支え合い、しっかりとまとまった家族を構成しています。これはあなた方のいつもの映画と違いますね。
L:サンドラは夫婦であることから勇気を得ています。マニュは深く妻を愛していて、彼女を恐れから助けています。彼女自身以上に、マニュは彼女のことを信じています。
―同僚たちは、社長が提示してくる取り決めに対して、ストライキを行ったり、戦ったりしませんね。
J-P:社員たちが組合を作れるほど多くない中小企業をあえて選んだのです。もしはっきりした敵との戦いを描くものだったとしたら、この映画はまったく違ったものになっていたでしょう。それでも、集団での行動がない、投票というやり方への戦いがないことは、今日の連帯の欠如を示すことに変わりはありませんが。
―『少年と自転車』のセシル・ドゥ・フランスに続いて、本作ではマリオン・コティヤールを起用しました。
L:ジャック・オディアールの『君と歩く世界』に私たちは共同プロデューサーとして参加していましたが、その際にマリオンと会いました。腕に赤ん坊を抱いた彼女とエレベーターで出くわしたのですが、その瞬間から私たちは魅了されてしまったのです。リエージュに戻る車中でずっと彼女について、彼女の顔、視線のことを話していました。
J-P:彼女のように有名な女優を起用するというのは、私たちにとってみれば挑戦がひとつ増えることになります。マリオンはこの映画のために、新しい身体、新しい顔を見出すことができました。
L:彼女は“女優”として作業を見せようとしませんでした。彼女が成し遂げたことは、これみよがしの演技でもひけらかしでもない。私たちの間には完全な信頼関係があり、それによってあらゆることを試すことができました。
―出演者たちとの作業はどのようなものでしたか。
J-P:約一ヶ月間、彼らと撮影リハーサルを行いました。それ以前に二ヶ月間、リュックと私で、ヴィデオカメラで撮影しながら、出来事が起こる場所で撮影の準備をしました。
L:この撮影前のリハーサルは、作品のリズムを見出し、どんな簡単に見えることでもやってみます。俳優たちと完全な信頼関係を生み出すのに必要なものです。
J-P:私たちは脚本の中で起こる出来事を順番通りに撮影します。俳優にとって大事なことは、私たちにとっても大事なことです。サンドラの行程は精神的なものであると同時に身体的なものであり、それを時間軸に沿って辿ることが、マリオン、ファブリツィオ、他の俳優たちにとっても必要不可欠なのです。
- 1977年
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“dans les cites ouvrieres de Wallonie (Vidéo d'intervention)
ワロン地方の労働者の街で”(参加型のビデオ作品) - 1978年
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“Le Chant du Rossignol ナイチンゲールの歌声”
- 1979年
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「レオン・Mの船が初めてムーズ川を下る時」
- 1980年
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“Pour que la guerre s'achève, les murs devaient s’écrouler
戦争が終わるには壁が崩壊しなければならない” - 1981年
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“R...ne répond plus 某Rはもう何も答えない”
- 1982年
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“Leçons d'une université volante 移動大学の授業”
- 1983年
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「ヨナタンを見よ:ジャン・ルーヴェ、その仕事」
- 1986年
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「ファルシュ」
1986
ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式出品
カンヌ国際映画祭ある視点正式出品 - 1987年
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“Il court.. il court le Monde 走る、世界は走る”
- 1992年
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「あなたを想う」
1992
ナミュール国際映画祭
観客賞/金のバイヤール(最優秀女優)賞(ファビアンヌ・バーブ) - 1996年
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『イゴールの約束』
1996
カンヌ国際映画祭 国際芸術映画評論連盟賞
ナミュール国際映画祭
作品賞/金のバイヤール(最優秀男優)賞(オリヴィエ・グルメ)/観客賞
ジュネーヴ国際映画祭 プレス審査員賞(ジェレミー・レニエ)
バリャドリード国際映画祭 グランプリ/国際批評家連盟賞
1997
ベルギー映画ジャーナリスト協会賞
フランス映画批評家組合 カヴェンス賞
ロサンゼルス批評家協会 外国語映画賞
全米批評家協会 外国語映画賞
ファジル国際映画祭 グランプリ
ルーカス国際子供映画祭 批評家協会賞
ジョセフ・プラトー映画賞
最優秀作品賞/監督賞/最優秀主演女優賞(ソフィア・ラブット)
ブリュッセル国際映画祭 最優秀ベルギー映画賞
2000
ナミュール国際映画祭 Bayard of the Bayards賞 - 1999年
-
『ロゼッタ』
1999
カンヌ国際映画祭 パルムドール大賞/主演女優賞(エミリー・ドゥケンヌ)
2000
シカゴ映画批評家協会 最優秀新人賞(エミリー・ドゥケンヌ)
フライアーノ国際賞 ゴールデンペガサス賞(最優秀監督賞)
ジョゼフ・プラトー映画賞
最優秀作品賞/監督賞/最優秀主演女優賞(エミリー・ドゥケンヌ)
- 2002年
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『息子のまなざし』
2002
カンヌ国際映画祭 主演男優賞(オリヴィエ・グルメ)/エキュメニック賞特別賞
2003
ファジル国際映画祭 グランプリ/主演男優賞(オリヴィエ・グルメ)
ジョゼフ・プラトー映画賞 最優秀作品賞/監督賞/主演男優賞(オリヴィエ・グルメ)
リュミエール賞 最優秀フランス語圏映画賞
サンフランシスコ批評家協会 最優秀外国語映画賞
2004
セスキ映画祭 最優秀外国語主演男優賞観客賞(オリヴィエ・グルメ) - 2005年
-
『ある子供』
2005
カンヌ国際映画祭 パルムドール大賞
ロシア映画批評家協会 最優秀外国語映画賞
2006
スウェーデン映画賞 最優秀外国語映画賞
ジョゼフ・プラトー映画賞
最優秀作品賞/監督賞/脚本賞/最優秀主演男優賞(ジェレミー・レニエ)
最優秀主演女優賞(デボラ・フランソワ)
リュミエール賞 最優秀フランス語圏映画賞
トロント映画批評家協会 最優秀監督賞/最優秀外国語映画賞
バルデイビア国際映画祭 最優秀作品賞 - 2008年
-
『ロルナの祈り』
2008
カンヌ国際映画祭 最優秀脚本賞
ラックス賞
2009
リュミエール賞 最優秀フランス語圏映画賞 - 2011年
-
『少年と自転車』
2011
カンヌ国際映画祭 グランプリ
ヨーロッパ映画賞 最優秀脚本賞
ヴァリャドリッド国際映画祭 選外佳作(トマ・ドレ)
フライアーノ国際賞 最優秀監督賞
2012
ゴールデングローブ賞 外国語映画賞ノミネート
リュミエール賞 フランス語圏映画賞ノミネート
サンディエゴ映画批評家協会 外国語映画賞
ベルギー・アカデミー賞 有望若手男優賞(トマ・ドレ)
2013
セントラル・オハイオ映画批評家協会 外国語映画賞 - 2014年
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『サンドラの週末』
2014
カンヌ国際映画祭 コンペティション部門正式出品
ヨーロッパ映画賞 最優秀女優賞(マリオン・コティヤール)
シドニー映画祭 グランプリ
ニューヨーク映画批評家協会 主演女優賞(マリオン・コティヤール)
ボストン映画批評家協会 主演女優賞(マリオン・コティヤール)/外国語映画賞
ニューヨーク映画批評家オンライン賞
主演女優賞(マリオン・コティヤール)/外国語映画賞
ボストン・オンライン映画批評家協会
主演女優賞(マリオン・コティヤール)/外国語映画賞
オンライン映画批評家協会 外国語映画賞
ダブリン映画批評家協会 主演女優賞(マリオン・コティヤール)
サンディエゴ映画批評家協会 主演女優賞(マリオン・コティヤール)
インディアナ映画ジャーナリスト協会 外国語映画賞
女性映画批評家協会 外国語映画賞
全米映画批評家協会 主演女優賞(マリオン・コティヤール)
デンバー映画批評家協会 外国語映画賞
ジョージア映画批評家協会 主演女優賞(マリオン・コティヤール)
2015
アカデミー賞 主演女優賞ノミネート(マリオン・コティヤール)
国際シネフィル協会賞 主演女優賞(マリオン・コティヤール)