Bitters End
配給作品
『ハーフェズ ペルシャの詩』
公式サイト
TOP
NEWS
イベントレポート
Director's Note
イントロダクション
ストーリー
コメント
予告篇
上映スケジュール
Keywords 1
Keywords 2
監督
キャスト
クレジット
BBS
Keywords 2
BITTERS END

『ハーフェズ ペルシャの詩』
を知るための9つのことば


■イスラム

唯一絶対の神(アッラー)を信じ、最後の預言者ムハンマドを通じて神が人々に下したとされるコーランの教えを信じ従う一神教。ユダヤ教やキリスト教と同様にアブラハムの宗教の系譜に連なる。コーランはイスラム法のもっとも重要な法源であり、イスラム法体系における憲法にあたる。イスラムは宗教というよりも、生活規範のひとつといえる。本作の中では、モフティー師が属する“シャリーア”(イスラム法)と、ジョルジャーニー師が属する“タリーカ”(スーフィー<神秘主義者>たちが真理<神>に到達する道)の対立が描かれている。



■ペルシャ―イラン

「ペルシャ」はイラン高原南西部のファールス地方の古代名パールサに由来する。そこから興ったアケメネス朝ペルシャ(B.C.550-B.C.330)がイラン高原を統一したことにより、「ペルシャ」という呼称がギリシア語等へ広まり、やがてはヨーロッパ諸語ひいては日本語にも借用されるようになった。パフラヴィー王朝期の1935年3月22日より、「ペルシャ」は「イラン」という国名に制定され、それ以後「イラン」が正式国名となる。日本では、現在でも「ペルシャ語」「ペルシャ絨毯」「ペルシャ猫」などで、「ペルシャ」という語が用いられている。



■ペルシャ語

ペルシャ語はインド・ヨーロッパ語族-インド・イラン語派に属する言語。歴史的には、楔形文字を用いて表された古代ペルシャ語、パフラヴィー文字で表記された中世ペルシャ語、アラビア文字使用の近世ペルシャ語に大別される。近世ペルシャ語は9-10世紀には成立していたと見られており、それ以降、英語や日本語の変遷と比較すると、現代に至るまで著しい変化が少なく、大切に守り通されてきた言語である。



■コーラン

イスラム教の聖典。クルアーンとも呼ばれる。610年、ムハンマドに神から下された神の言葉そのもの。アラビア人にアラビア語で下された啓示のこと。そのため、アラビア語以外の言語に訳されたものはコーランとは呼ばず、“注釈”とされる。聖典としての内容、意味、言葉すべてが神に由来すると考えられている。ムハンマドの死後にまとめられ、全114章からなる。ムハンマド自身は文盲であったといわれ、彼を通じて伝えられた啓示はムハンマドと信徒たちの暗記によって記憶され、口伝えで伝承された。そのため、アラビア語の「朗唱されるもの」を原義とする。



■鏡の誓願

「7つのステップを渡ることで神に近づく」というような表現はあるが、イスラム世界に存在するものではなく、本作における設定。



画像

画像

画像


■ハーフェズ (コーランを美声で暗唱する者)

イスラムの聖典コーランの暗唱者や伝承記憶の優れた者をさすアラビア語。美しい声でコーランの詩句を朗唱する者という意味も含み、コーランをすべて暗唱する者に与えられる尊称である。「ハーフェズ」になるには最低でも2年は要すると言われている。



■イランの詩人たち

10〜15世紀までのペルシャ古典詩は今でもイラン人にはたいへん親しまれ、彼らの教養であると同時に生活に密着した言語芸術である。古典詩人の廟がイランの観光名所となっていることからも、彼らの不動の人気が窺われる。とりわけ、民族・英雄叙事詩人フェルドウスィー(10世紀)、数多くの物語詩を残したニザーミー(12世紀)、恋愛詩・教訓詩に長けたサアディ―(13世紀)、神秘主義詩の最高峰ルーミー(モウラヴィー)(13世紀)、そして抒情詩の巨匠ハーフェズ(14世紀)の五詩人は特に愛されており、CDなどで作品を鑑賞することができる。
各国で翻訳されているオマル・ハイヤーム作の『ルバイヤート』は、太宰治が『人間失格』で堀井梁穂歩訳を引用しているが、ほかにも竹友藻風や小川亮作、陳舜臣らの手により数編の和訳が出版されており、日本人に最も親しまれているペルシャ古典詩である。



■イランの特産物

イランはバラの原産地と言われ、詩人たちも数多くのバラにまつわる詩を残している。カーシャーンやハーフェズの故郷シーラーズではバラが多く栽培され、香水の原料となるローズオイルやローズウォーターとして用いられている。そのほか、ザクロ、サフラン、いちじく、ピスタチオ、紅茶(チャーイ)、オリーヴなど身近なものがいっぱい。滋養の高いなつめやし(デーツ)も人気がある。また、シーア派イスラムを国教に掲げるイランでは、飲酒の習慣がないため、男性はチャイハネ(一種の喫茶店)で紅茶を飲んだり、水タバコをふかしたりしながらあれこれ語り合うのが日常のふれあいとなっている。ペルシャ絨毯、更紗といった織物も日本になじみ深いイランの特産物である。



■イランの世界遺産

イラン国内では現在8箇所が世界遺産に指定されている。なかでも、B.C.6世紀半ばにインダス川からエジプトまでを支配する大帝国となったアケメネス朝ペルシャのダリウス1世とその息子、クセルクセス1世が2代にわたって、B.C.512年頃、現ファールス州に建設した広大な宮殿跡が「ペルセポリス」である。かつて新年の公式祝賀行事が催された宮殿跡には、各地からの使者や貢物のレリーフ、かつての大広間を彷彿とさせる100本の柱跡などが見られ、過ぎ去りし栄耀栄華が偲ばれる。
 また、16世紀末にサファヴィー朝の王・アッバース大帝1世が首都に定めたエスファハーンの「ナクシェ・ジャハーン(またはイマーム)」広場も世界遺産の1つであり、その壮大さは見る者を圧倒する。当時は「エスファハーンは世界の半分」と言われたほどで、この広場の周囲には当時の繁栄を思わせるモスク(イスラム教寺院)や宮殿が立ち並ぶ。
 他にも、アケメネス朝期の「パサルガダエ」(ファールス州)、エラム期のピラミッド型寺院「チョガーザンビール」(フーゼスターン州)、ササン朝期の拝火教寺院「タフテ・ソレイマーン」(西アゼルバイジャン州)、イル・ハーン朝期のソルタニエの大モスク(ザンジャーン州)、アケメネス朝期からサファヴィー朝期にかけての史跡群ビーストゥーン(ケルマーンシャー)、そしてパルティア時代からイスラム初期にかけての砦で、2003年12月の地震で崩壊し修復が望まれる城塞「アルゲ・バム」(ケルマーン州)が、世界遺産に指定されている。



KEYWORDS*原稿・監修
佐々木あや乃

(ささき・あやの/東京外国語大学准教授)