ハーフェズの恋人の名が「シャーヘ・ナバート」であるという逸話が、本映画の制作になんらかの影響を与えたことは確かである。あくまでも単なる参考として、ここに簡単にその逸話を紹介しておきたい。
ハーフェズは「シャーヘ・ナバート」という名の娘に恋したが、貧しさのため結婚できず、木曜の夜(日本の土曜の夜にあたる)毎に聖廟に出かけ徹夜をし、40夜にも及ぶ願掛けをした。40夜目、当時はまだ読み書きもままならなかったハーフェズが疲れてうとうとしていると、夢枕にイマーム・アリーが現れ、「そなたはコーランの朗唱者になり、見事な詩を語るようになるだろう」と言った。すなわち、目に見えない宝(神)への扉が開かれ、彼は瞬時にありとあらゆる学問・神秘主義の最高レベルに達したのである。そして、ハーフェズは目覚めるとすぐに即興で次のガザルを作ったという。
昨夜明け方に私は悲しみから解き放たれ
夜の暗闇のなかで
生命の水(アーベ・ハヤート)を授けられた
恋人の光の輝きにわれを忘れ
恵みの栄光の酒杯から酒が与えられた
なんと祝福された暁、なんとめでたい一夜
あの運命(カダル)の夜に
この新たな約束がなされた
これからは私は美を映す鏡に向かい
恋人のまばゆいばかりの美が私に知らされる
私が望みを遂げ喜んだとて不思議があろうか
私はそれにふさわしく、
それは喜捨(ザカート)として与えられた
あの日神秘の声がこの吉報を伝えた
私にはあの虐げに
耐え忍ぶ力が授けられたのだと
わが言葉から滴るこの蜜と砂糖はすべて
忍耐の賜物、そのために
シャーヘ・ナバートが授けられた
私が日々の悲哀の枷から解かれたのは
ハーフェズの熱望と
敬虔な人々の息吹のおかげ
逸話によれば、これが詩人ハーフェズの最初のガザルということになる。しかし、ハーフェズが当時の学問に精通していたことは諸文献により明らかであり、それまでは単なる下手の横好きであり夢から覚めて突然流麗な詩をうたったとするこの説は、現在では研究者には支持されていない。ただ、詩人ハーフェズのガザルがこうした奇跡譚を生み出すほど卓越していると評価されたことが重要だといえよう。また、このガザルに登場する「シャーヘ・ナバート」は固有名詞ではなく、「シャーヘイェ・ナバート」という枝状(シャーヘ)の砂糖菓子(ナバート)をさし、これを恋人の隠喩として用いたという解釈も成り立つ。さらに、別のガザルでは、ハーフェズは自らの筆をこの「シャーヘ・ナバート」に喩え、いかに自らの編み出す詩句が甘美であるかを示してもいる。
(註)ガザル=抒情詩