◆ストーリー◆

2007年、中国四川省・成都。1956年に設立された「420工場」は、今まさに50年わたる歴史に幕を閉じようとしている。工場内のホールに労働者たちが集まり、式典が開催されている。

かつて「420工場」で働いた労働者たちが、それぞれの“思い出”を語り始める。

「皆が主任の袖や手を引っぱって尋ねた。“私は遅刻した?” “不真面目だった?” 
主任は “誰も悪くなかった…” と言ったわ」

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侯麗君:ホウ・リィジュン
1953年 瀋陽生まれ 
420工場 63部門 修理工

乗りなれたバスの中、ホウは早口に自分の半生を語り始める――。

人員削減でホウは「420工場」からリストラされた。お別れの食事会が開かれた。誰もが泣きながら主任の袖や手を引っぱって、“私は遅刻した?”“俺が不真面目だった?”と訪ねた。実際に誰も悪くなかった。誰もがとても真剣に働いていた。主任もそれを認めたが“でも工員を抱えきれないんだ”と言った。そして、少しばかりの生活費を受け取った。みんなは泣いてばかりだったが、ホウは平気なふりをして真っ先に食べた。「まさに笑顔に涙を隠してね」とホウは鼻水をすすりながら語った。

「子供が自分から遠のいてゆく。私は自分を呪った。
そして、あまりに動揺して心が空っぽになった」

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1937年生まれ 
1958年に瀋陽から成都に移住

年老いた女性・ダーリーが「420工場」の社員寄宿舎から点滴を下げてでてくる。工場が操業を開始した時に、瀋陽からこの地に来たダーリーは、静かに自分の物語を語り始める――。

1958年、21歳のダーリーは夫と子供とともに故郷を離れ、他の労働者たちとともに船で成都に向かう。長江をさかのぼり、三峡の街・奉節で船はいったん停泊した。ダーリーたちは下船し、街を歩くが、出航の時間が近づいた時、子供を見失ったことに気づく。大声で子供の名を叫ぶが、子供の姿は見えない。ダーリーと夫は子供を懸命に探そうとするが、出航を知らせる汽笛が鳴り、同僚たちによって引き戻される。個人の一挙一動が国の安全に関わる緊張した時代、工場は軍事管理下にあり、汽笛の音は軍隊のラッパと同じ意味を持っていた。ダーリーはなおも子供の名を叫び続けるが、船はゆっくりと岸を離れていった……。

「16歳の時 俺は恋をした」

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宋衛東:ソン・ウェイドン
1966年 成都生まれ 
成発グループ 社長室副主任

後にホテルへと建て替えられる事務所で、ゆっくりと煙草を吹かしながら、ソンは青春の日々を振り返り、語り始める――。

ソンは16歳で恋をした。彼女は医大に合格していた。ソンも受験したかったが、当時、技術職は人気があり、家族は父親の職を継がせたがった。待遇も良かったので、ソンは工場に残った。1978年はベトナムと戦っていたので、軍需品の需要も多かったが、数年で工場は不景気になった。彼女の家族が交際を反対し始めたのはその頃だった。今でもはっきりと彼女と別れた日のことを覚えている。印象に残っているのは、彼女が当時、大ヒットしていた山口百恵の ドラマ“赤い疑惑”の主人公の髪型を真似た“幸子ヘア”だったこと。つい最近もTVで再放送していて、それを妻や同僚たちと見ているとソンは微笑んだ。

「今の私は “アイドル” じゃない。でも “廃棄物” でもないわ」

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顧敏華:グゥ・ミンホァ
1958年上海生まれ 
420工場 精密機器 検査部門

美しい中年の女性労働者グゥ・ミンホァ。1978年にヒットした映画『戦場の花』 のヒロインに似ているということで、みんなからヒロインの名前シャオホァ(小花)と呼ばれている。

1978年に「420工場」にきたシャオホァは、その美しい顔立ちから男性労働者たちの人気を集め、“職場の花”と噂されていた。ある日、工場の掲示板に一枚の写真が貼り出される。女性たちは、その写真の中の青年の涼しい目元に魅了される。掲示板を囲んで女性たちは“彼は数日後に就任する書記だ”とか“ベトナム国境へ解放軍の慰問に行く代表だ”と推測していた。そのうち“シャオホァならきっとお似合いよ”と言い出す者まで現れた。初め怒ったが、ゆっくりとだが自分でも驚くほど、気持ちに変化が起こってきた。青年が本当に書記になって翌日には目の前に現れるんじゃないかと…。シャオホァはまだ20歳で恋愛の経験もなかった。しかし、数日後、工場長が訓示の中で青年の話を始めた。この青年は空軍で将来を期待されていたパイロットだったが、テスト飛行時に機体に異常が発生し、24歳の若さで事故死していた。その飛行機はこの「420工場」で生産されたものだった。工場長は“君らの中の誰かに必ず責任がある”。この事実を重く受け止め、作業により一層正確を求めるよう言って訓辞をしめくくった。

「両親に“二十四城”の部屋を買うの。高いことは知ってるわ。でも買ってみせる。
私は労働者の娘だもの」

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蘇娜:スー・ナー
1982年成都生まれ 
バイヤー 両親はともに「420工場」で働いていた。社員寄宿舎で育つ

今は廃校となってしまった学校の建物の中で、スー・ナーは語り始める――。

ある朝、書類が必要になったスー・ナーは、久々に実家である寄宿舎に戻った。鍵をもう持っていないことに気づき、母親を訪ねて、工場に初めて足を踏み入れた。一人づつ顔をのぞき母親を捜した。ようやく見つけた母親は鋼鉄の塊を運んでいた。一つ運んでは箱に落として、また運んでは落とす。落とすたびにドンと音がする。頭を低くして作業し、男女の見分けさえつかない。母親はスー・ナーが見ていることに気づかず、汗水たらしながら一心に仕事を続けていた。スー・ナーは走って工場を出た。これまで自分が母親の労働を幾分軽蔑していたことが大きな間違いだと悟った。その日の夜、めずらしくスー・ナーは実家に泊まった。

話し終えたスー・ナーは、視線を外に向ける。その視線の先には成都の街並が広がっている――。

成都 消えゆくものを携えながらも
生涯 私が誇りとするには 充分なのだ ―――万夏 ワン・シャー

『戦場の花』 1978年中国映画。チァン・チョン監督作品、原題は「小花」。中国戦乱の時代を背景に、義理の兄を探す少女の物語。ヒロイン“シャオホァ(小花)”を演じたのは、本作で“シャオホァ”こと“グゥ・ミンホァ(顧敏華)”を演じたジョアン・チェン(陳冲)である。

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