◆監督インタビュー◆
「みんなに笑顔をもたらす人物を描きたかった」
自伝的3部作「ブランコ」『あの娘と自転車に乗って』『旅立ちの汽笛』の後、アクタン・アリム・クバト監督は、裕福ではない人のために電気を盗むキルギスのロビン・フッドの物語を作り上げた。
どのように『明りを灯す人』の企画はスタートしたのですか?
――2001年の企画当初は脚本なしの映画を作りたいと思っていました。プロデューサーのチェドミール・コラールも同じことを思っていたようで、私の考えに賛同してくれました。しかし、このような企画に出資者を見つけることは不可能でした。結果、脚本を書くことになり、その作業に数年要しました。時間が経つにつれ、脚本は変化し、より豊かなものになりました。その当時国内で起きていたことが脚本に反映されました。読み返すたびに、この国の状況が作品の主題に呼応してくるのです。2005年の<チューリップ革命>の後、バキエフ派が政権を握った頃に撮影の準備が整い、映画がもう少しで完成し、カンヌに出品する準備ができた時に2010年4月7日の<血の革命>が起こりました。まるで時代を予測しているかのようでした。
企画当初から、電気工を主人公にするアイデアはありました。視覚的にも彼らは本当に魅力的です。彼らの服装、その作業がいつも空に向って登るということ。そして、彼らは常にいろいろな家を訪れますから、あらゆる人々といつも交流をしています。つまり、彼らにはあらゆる冒険が待ち受けているのです。また、電気工という人物を好む理由は、その具体的な暗喩です。家々に光をもたらす彼らは、希望を与えているのです。それは、実際の光であるとともに暗喩的な光、人々の人生を灯す明りなのです。原題“SVET-AKE”の“SVET”は、「光/明り」を文字通り意味するとともに、「世界/世間」や「兄弟」を意味します。
主人公の“明り屋さん”は、キルギスのロビン・フッドのようです。
撮影中、それを意識されましたか?
――もちろんです。私は、映画を作る時に、人物についてじっくり考えます。ロビン・フッドから、ドン・キホーテ、トルコ民話や、キルギスの同じような物語。そういった、さまざまな民話の主人公について考えました。私たちは、それらを統合した人物を生み出したいと思いました。キルギスの批評家は、この主人公を、“民衆の良心”のようだと評しました。というのも彼はキルギス人の良い特徴を集めたものだからです。このような主人公が本当に存在するかどうかわかりませんが、映画を観た人から、「彼は私の村の誰かに似ている」と言われることがよくあります。つまり、このような人は存在するのだと思いますが、私たちはあまり気に留めることがなく、社会全体が結局は彼らに寄りかかっているにもかかわらず、彼らに注意を払っていないということだと思います。実は人々の無意識のなかで、このような人物が必要だったということだと思います。私自身、とてもシンプルに、喜びをもたらしてくれる、とても善良な人を笑わせる人物を欲していました。
『明りを灯す人』ではあなたは主演と監督を担当しています。
どうしてでしょうか? またやってみて、どうでしたか?
――脚本を書いているとき、自分自身の行動や性格にインスパイアされます。もちろん、自伝的3部作では自分自身を描くことが目的でした。それはこの『明りを灯す人』についても同じことがいえます。はじめは映画に出演する予定はなく、本当に“明り屋さん”を探していました。しかし、長い時間をかけ、海外でも探したのですが、会った役者の誰もがどこか合わなかったのです。上手く言えないのですが、なにかが決定的に違ったのです。はじめは冗談でしたが、スタッフたちから私がその役を演じればいいと言われるようになりました。そして、カメラテストを受け、ついに私に決まったのです。ロシアで男優賞をいただいたのですから、うまくいったと言えるでしょう(笑)。
撮影中、演じると同時に演出するという新しい試みは、とても刺激的であり、非常に興味深いことでした。そして、この試みは、映画作りにおいて、今まで行ってきた方法と何ら変わらないということを気づかせてくれました。これまでの3部作では自伝的な方法で、今回は明り屋さんというキャラクターを通して、私自身が自分を理解しようとすることでした。
あなたは初期の作品をアクタン・アブディカリコフの名で発表しています。
どうして名前を変えたのですか?
――2001年、私は自分の幼少期、思春期、青春時代を描いた3部作を完成させました。これらを撮り終えた後、変化を強く望んだのだと思います。この3部作は、私の人生のひとつの段階でした。その後、私は前に進むために動かなくてはならないと感じました。私の作品を知る人は、この『明りを灯す人』が、これまでの作品と全く違う、別の映画言語だといいます。これは、同じ場所に留まらないという試み、慣れてしまったことをもうしないということ、自分の世界観や外観を変えるという試みです。だから名前を変えました。つまり、とても深い変化の試みなのです。 また、『あの娘と自転車に乗って』の中で描きましたが、私は養子でした。ソ連時代の親ロシア的な名前であるアブディカリコフは産みの親の姓です。私は新たな自分の姓を、元来のキルギス人の名前である、二人の父親のファースト・ネームから取りました。アリムは産みの、クバトは育ての父親のものです。このことは二人の父親へのオマージュと言えます。
あなたはご自分の国の将来をどう見ていますか。あなたは楽観主義者ですか?
――『明りを灯す人』のラストは、少しずつ灯ってゆく電球のシーンです。それは、私にとって、平穏な未来の希望を意味しています。そして、エンドクレジットの前に、こう記しました。「私の孫たちへ、彼らが幸せでありますように」。このふたつの要素で、私の考え方を理解できるでしょう。私は私たちの国で生活が大きく変わることに大きな希望を持っています。キルギスは、中央アジアの中で民主的に発展している唯一の国です。私たちは必ずしもこの歴史的意義を意識しているわけではなく、すぐにはその重要性を理解できません。民主的な発展への道のりは苦しいものであり、想像していたものではありません。しかし、我が国は、発展へ道を探している途中です。私はと言えば、平穏な未来が私たちを待ちうけているという大きな希望を持っています。私たちの映画には、語りの自由があり、“自由の飛翔”があります。私はまだ、この国の生活と政治情況を描いた、自由な精神と同じくらい自由な語りをもつ映画を観たことがありません。私たちには、自分のビジョンを発表する自由があるのです。