Director's Statement
私がこれほど率直に話すのはこれが初めてかもしれない。過去において、映画を作ろうとする時はいつでも、私は躊躇と疑いに直面し、それを克服するまで撮影を開始することができなかった。時に、人は心を開き、思い上がった態度を捨てて、直面している困難さについて誰かに語る必要がある。だが、その“誰か”を見つけることが困難な時もある。ヴェネチア映画祭に『7本のキャンドル』とともに参加した4ヶ月前、私は“時計の息子”という題名の映画を撮り始めようとしていた。すべてが整っていたが、私だけが撮影を開始する準備ができていなかった。この映画に出演する少年を探していたのだが、恐らく十分に探していなかったのだろう、私は依然として理想的な少年を見つけることができないままでいた。
私にはアメリカに住んでいる映画批評家の友人がいる。彼に“時計の息子”のストーリーを話した時、彼は多少狼狽して「こんな素晴らしいストーリーをすぐに撮り始めないとは、君はどうかしているぞ」と言った。私は第8番目の芸術を探しており、このストーリーには満足できないのだ、と冗談まじりに言った。「君は狂っている!」と彼は言った。だが、彼は正しかった。恐らく私は本当に狂っていたのだろう。というのも、私は現在の映画産業に全く関心を持てなかったのだ。
私はセックス、暴力、そして嘘ばかりの物語に飽き飽きしてしまっていた。そして、映画において自分が望んでいることに対する解答を探していた。私はその解答次第では独自の新鮮なスタイルを創造できるかもしれないし、全く映画を作れなくなるかもしれない。私はこれまで何年もスクリプトなしに映画を撮っていた。なぜなら、私は自発性を強く信じているからである。しかし、そのことにも私は興味を失っていた。私は見知らぬ境界線に到達することを切望していた。映画産業の中で最も遠い地点に進もうと望んでいた。
私は常に問題を抱えてきた。ともに働くことのできる人々を見つけるのは容易いことではない。プロの俳優たちはシステマチックで、機械のようにもなり得る。それゆえに、私はアマチュアと働くことを好んだ。彼らの何物にも影響を受けていない自然さが基本的に好きだからだ。イタリア映画界の主流の監督たち、とりわけヴィットリオ・デ・シーカは、数十年前、映画におけるネオリアリズモという形でこの実験を試みている。それは、非常に成功をおさめた『自転車泥棒』という美しい映画においてである。
『トゥルー・ストーリー』において、映画は真実を経験した。いくつかの欠点はあると思うが、最終的にはこれが成功したか失敗したかは、観客の目に委ねられるだろう。
1996年8月 アボルファズル・ジャリリ
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