キャスト

アデル・エネル

アデル・エネル Adéle Haenel

1989年1月1日、フランス・パリ生まれ。2002年に『クロエの棲む夢』の主演でスクリーンデビューを果たし、フランス映画祭のために来日もしている。その後、『水の中のつぼみ』(07/セリーヌ・シアマ監督)で、性に揺れる思春期の少女を瑞々しく演じ、第33回セザール賞有望女優賞にノミネートされる。その後も『メゾンある娼館の記憶』(11/ベルトラン・ボネロ監督)で第37回セザール賞有望女優賞にノミネートされ、同作品で共演したセリーヌ・サレットと共に第17回リュミエール賞最優秀新人女優賞を受賞。「スザンヌ」(13/カテル・キレヴェレ監督)の演技で第39回セザール賞助演女優賞、“Les Combattants”(14/トマ・ケレー監督)で第40回セザール賞主演女優賞に輝いた。16年に行われた東京国際映画祭コンペティション部門東京グランプリ受賞作品「ブルーム・オヴ・イエスタディ」(クリス・クラウス監督)では、まったく喋れなかったドイツ語を習得し見事な演技を披露した。その他の代表作に『黒いスーツを着た男』(12/カトリーヌ・コルシニ監督)、「ニースの疑惑 カジノ令嬢失踪事件」(14/アンドレ・テシネ監督)などがある。 現在、フランスきっての人気女優である。

アデル・エネル インタビュー

──『午後8時の訪問者』の撮影以前、ダルデンヌ兄弟はあなたにとってどんな監督でしたか。

彼らは現代映画の歴史と想像力の中で疑いなく重要な位置を占めています。彼らに会う前にすべての映画を見ていたわけではないのですが、その後全部見ました。元々観ていた『イゴールの約束』、『サンドラの週末』のインパクトはとても大きかった。デビュー以来、作家の映画に出たいと思っていました。その世界でダルデンヌ兄弟が占めている位置を考えると、出演依頼を受けた時には感動してしまいました。そんなことが起こるとは思ってもみなかったのです。

──脚本を読んだ感想はどうでしたか。

物語のシンプルさ、その深さに衝撃を受けました。彼らの仕事はきわめて正確です。彼らは真っ直ぐに目標に向かい、余計なものにわずらわされない。脚本の段階から、正確さ、妥協のなさが感じられるのです。

──あなたにとってジェニーはどのような人物でしょうか。

彼女はごく普通のヒロインで、私はそこが気に入っています。彼女の私生活はほとんど分かりません。私にとってこの映画は、ジェニーが他人に出会うことによって、自分の生活、自分自身に生まれ直す物語なのです。彼女は共感をもって人の話を聞く人で、誰に対しても優越感を持つことがありません。

──この人物を演じるにあたって、ダルデンヌ兄弟からはどのような指導がありましたか。

監督との間に相互理解があれば、あまり言葉は要りません。ダルデンヌ兄弟と私はお互いによく理解し合っていたと思います。ダルデンヌ兄弟は心理を事細かく説明しようとはしません。身体に聞くこと、登場人物の行動を通してすべては語られます。小さなことに見えるけれど実際は重要な、例えば、手袋はどうやってはめるのか、注射はどうやるのか、に集中しなければなりませんでした。それに集中していたので、ジェニーの感情に気を配る暇はなかったのです。観客に”演技をしている”ことが見えてしまえば、監督の意図とはまるで違ったものになってしまっていたでしょう。

──ダルデンヌ兄弟の映画はすべてそうですが、『午後8時の訪問者』でも社会背景が鍵になっていますね。

私は現代の社会を挑発するような映画が好きです。社会的地位、生活の条件が登場人物の存在を規定しています。どうやって生活しているのか、どの程度自分や他人を信頼しているのか、健康状態はどうなのか。現代映画において、ある種の社会階級は取り上げられることがありません。ダルデンヌ兄弟を筆頭に、監督たちがその問題に関心を持つことはとても重要だと思うのです。

──ダルデンヌ兄弟は俳優と長くリハーサルをすることを好みます。この準備期間、および撮影はどのような体験でしたか。

何テイクも重ねて俳優が疲弊するという評判は真実ではありません。物事がとても早く運んだ気がします。撮影前の準備期間が極めて重要なのです。すべての俳優がそこに集まるのですが、それによって出番の少ない人でも、撮影現場ですぐに一体感が持てるのです。

──準備段階では他にどのようなことをしましたか?

リハーサルの際にダルデンヌ兄弟は、俳優の動き、登場人物が直面する状況、カメラの動きを念入りに検討します。要するに演出の主要な部分は、まさにここで出来上がるのです。問題が持ち上がるとしても、この段階で解決を見出すので、撮影現場で障害にぶつかることがありません。この準備期間中に私も不安が解消されました。それでも当然現場では緊張しますが……。

──医者を演じるにあたって苦労されましたか。

準備期間中、医療コンサルタントのマルティーヌがいてくれました。実際の医師です。特殊な手続きや、患者さんとのやり取りなどを教えてもらいました。と言ってもこれさえやれば大丈夫という魔法のような方法はないのですが。

──この経験から何を得ましたか。

ダルデンヌ兄弟との作業を経て、「反本能的」な領域に踏み込めたように思っています。それは私にとって決定的な経験でした。私の中の怒りを超えた何かを、ダルデンヌ兄弟は見出してくれたのです。怒りという本能的な感情は私の一部ですが、しかし私という存在はそれにとどまらないのです。

──『午後8時の訪問者』であなたはカンヌ国際映画祭のコンペティション部門に参加されました。

カンヌは、ある種の映画に光を当てます。そういった映画が上映されるということがとても大事なのです。でも私が誇りに思うのは、個人的なことではなくて、何よりも映画そのものです。もしカンヌで選ばれたのがこの作品でなかったら、これほど誇らしくはなかったでしょう。

オリヴィエ・ボノー

オリヴィエ・ボノー Olivier Bonnaud

フランス生まれ。映画を大学で学んだあと、ソルボンヌやリエージュの王立音楽院などでも映画や文学について学ぶ。短編の脚本や監督にも携わっており、2015年は“TANT PIS POUR LES VICTOIRES”を自身で監督し出演もした。本作『午後8時の訪問者』が長編映画デビュー。数多くの舞台でも活躍している。デビュー作にも関わらず、カンヌ国際映画祭では、アデル・エネルやダルデンヌ兄弟監督と共にレッドカーペットを歩いた。

ジェレミー・レニエジェレミー・レニエ Jérémie Renier

1981年1月6日、ベルギー・ブリュッセル生まれ。10歳で、ベルギー・ルクセンブルク合作のオムニバス「七つの大罪」に出演。その翌年、ベルギー・スイス合作のテレビ映画「英雄達のメロディ」に出演。舞台では、モンス王立劇場で「ピノキオ」役を演じる。ジェレミーの名が知れわたったのは96年のダルデンヌ作品『イゴールの約束』で主役の少年イゴールをわずか14歳で演じた時だった。その後、『クリミナル・ラヴァーズ』(00/フランソワ・オゾン監督)、『ジェヴォ―ダンの獣』(02/クリストフ・ガンス監督)と話題作への出演が続き、02年は第52回ベルリン国際映画祭で有望なヨーロッパの若手俳優に贈られるシューティングスター賞を受賞。05年には再びダルデンヌ監督がパルムドール大賞を受賞した『ある子供』で主役のブリュノを演じ、好評を博す。続くダルデンヌ監督作品『ロルナの祈り』(09)では麻薬中毒者の役作りのため15キロも体重を落として役に挑んだ。その他の代表作に、『夏時間の庭』(08/オリヴィエ・アサイヤス監督)、『しあわせの雨傘』(11/フランソワ・オゾン監督)、『約束の葡萄畑 あるワイン醸造家の物語』(10/ニキ・カーロ監督)、ダルデンヌ監督作品『少年と自転車』(12)、『サンローラン』(15/ベルトラン・ボネロ監督)のほか、クロード・フランソワの栄光とその知られざる実像を描いた『最後のマイ・ウェイ』(12/フローラン=エミリオ・シリ監督)では、第26回カブール・ロマンチック映画祭、第8回クリスタルグローブ賞で主演男優賞を受賞している。

ルカ・ミネラ

ルカ・ミネラ Louka Minnella

ベルギー生まれ。ベルギーのロックバンドPAUL GRAYのミュージックビデオやテレビドラマなどに出演していたが、本作で長編映画デビュー。その他出演作に“Leventdes regrets”(14/オリヴィエ・ヴィダル監督、セバスチァン・マジアーニ監督)、 “Petite etreinte sur le vid”(16/セバスチアン・ペレエ監督)がある。本作で初めてカンヌ国際映画祭に参加した。

オリヴィエ・グルメ

オリヴィエ・グルメ Olivier Gourmet

1963年7月22日、ベルギー・ナミュール生まれ。『イゴールの約束』(96)以降ダルデンヌ兄弟の全作品に出演している常連俳優であり、『息子のまなざし』(02)では初主演にして、カンヌ国際映画祭最優秀男優賞を受賞した。そのほかの出演作は、『リード・マイ・リップス』(01/ジャック・オディアール監督)、『レセ・パセ 自由への通行許可証』(02/ベルトラン・タヴェルニエ監督)、「タイム・オブ・ウルフ」(03/ミヒャエル・ハネケ監督)、「サイン・オブ・デス」(07/レジス・ヴァルニエ監督)、「大臣と影の男」(11/ピエール・ショレール監督)、『ヴィオレット–ある作家の肖像–』(13/マルタン・プロヴォ監督)など。16年公開の黒沢清監督がフランスで撮りあげた作品『ダゲレオタイプの女』ではダゲレオタイプ写真家のステファンを怪演した。ヨーロッパを代表する名優である。

ファブリツィオ・ロンジォーネ

ファブリツィオ・ロンジォーネ Fabrizio Rongione

1973年3月3日、イタリア人両親のもとにベルギー・ブリュッセルで生まれる。ベルギー、フランス、イタリアをまたにかけ、映画、舞台、テレビで活躍している。99年、『ロゼッタ』のリケ役でデビューし、その後も『ある子供』(05)、『ロルナの祈り』(09)、『少年と自転車』(12)、『サンドラの週末』(14)などダルデンヌ監督作品に出演。ポーリン・エティエンヌ、イザベル・ユペールと共演した、哲学者ディドロが1760年に執筆した「修道女」原作“Lareligieuse”(13/ギョーム・ニクルー監督)、ドイツ占領下にあったフランスのとある村を描いた、6年以上続くテレビドラマシリーズ”Un village français”(09-) にレギュラー出演している。15年は國村隼主演作品「KOKORO–心」(16/ヴァンニャ・ダルカンタナ監督)にも出演。

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