少年と自転車

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セシル・ドゥ・フランス

1975年7月17日生まれ、ベルギーのナミュール出身。6歳で舞台に立ち始め、17歳のときにパリに移り、演技の勉強を続けた。その後、リュー・ブランシュ劇場の演劇学校に入学。それは外国人俳優としてはめったにない名誉である。主にフランスの舞台や映画、テレビで活躍する。2002年、セドリック・クラピッシュ監督の『スパニッシュ・アパートメント』のイザベル役で映画ファンと批評家からの注目を浴び、仏セザール賞とリュミエール賞の有望若手女優賞を獲得。続編の『ロシアン・ドールズ』(05)で再びイザベルを演じ、セザール賞最優秀助演女優賞を受賞した。ダニエル・ドンプソン監督の『モンテーニュ通りのカフェ』(06)とクロード・ミレール監督の「秘密」(07)では同賞主演女優賞にノミネートされた。
ハリウッド進出のきっかけとなったのは、アレクサンドル・アジャ監督の『ハイテンション』(03)と、ジャッキー・チェン、スティーブ・クーガンと共演した『80デイズ』(04)。以降、アメリカとヨーロッパの両方で幅広い役柄を演じている。最新公開作は、クリント・イーストウッド監督『ヒア アフター』(11)。また、05年のカンヌ映画祭では開会式・閉会式の司会を務め、フランスで近年最も勢いのある女優のひとりである。
セシル・ドゥ・フランス

トマ・ドレ

1996年12月生まれ。100人余りの候補者からシリル役のオーディションで抜擢された新人。
トマ・ドレ

ジェレミー・レニエ

1981年1月6日、ベルギー・ブリュッセル生まれ。10歳で、ベルギー・ルクセンブルク合作のオムニバス「七つの大罪」に出演。その翌年、ベルギー・スイス合作のテレビ映画「英雄達のメロディ」に出演。舞台では、モンス王立劇場で「ピノキオ」役を演じる。ジェレミーの名が知れわたったのは1996年のダルデンヌ作品『イゴールの約束』で主役の少年イゴールをわずか14歳で演じた時だった。その後、99年にはフランソワ・オゾン監督の『クリミナル・ラヴァーズ』、2001年にはクリストフ・ガンス監督の『ジェヴォーダンの獣』と話題作への出演が続き、03年、ジャン=マルク・ムトゥ監督の「ワーク・ハード、プレイ・ハード」ではセザール賞有望新人男優賞にノミネートされた。05年には再びダルデンヌ作品『ある子供』で主役のブリュノを演じ、好評を博す。そして08年『ロルナの祈り』へも出演、麻薬中毒者の役作りのため15キロも体重を落として役に挑み期待にこたえ、ダルデンヌ作品には欠かせない俳優となる。その他の代表作には、ジョー・ライト監督の『つぐない』(07)、オリヴィエ・アサイヤス監督の『夏時間の庭』(08)、フランソワ・オゾン監督『しあわせの雨傘』(11)などがある。
ジェレミー・レニエ
セシル・ドゥ・フランス インタビュー

――『少年と自転車』のシナリオを初めて読んだとき、どう思いましたか?
シナリオのクオリティがとても高かったので、もう映画を見ているようでした。彼らの作品を特徴づけているのは、単純さの力です。この「父親を探し求める少年の物語」には、これ見よがしの効果がありません。その力は潜在的なもので、ほのめかし程度です。ダルデンヌ兄弟の映画は、教訓めいていないし、善悪の二元論を排し、観客の感情につけこむようなことをしないのです。シナリオにそれが現れていました。そこがとても気に入りました。

――ダルデンヌ兄弟は、サマンサをどういう人物だと言っていましたか。
彼らは心理的な説明をしたがりません。サマンサは善意に満ち、太陽のような人ですが、監督と話していてすぐに分かったのは、サマンサの善人ぶりを誇張してはいけないということでした。この物語は現代のおとぎ話であって、そこで私が演じるのは優しさと力強さを併せ持つ女性だけど、その動機はまったく分からないのです。最初、シリルはサマンサに惹かれているわけではなく、彼女が持っている、父を探しだせるかもしれない可能性に惹かれています。主人公はシリルで、サマンサは彼に仕えるのです。

――不満があったのですか。
とんでもない! 私は女優としてのある種の癖を忘れなくてはならない、ということがむしろ気に入りました。『少年と自転車』では、自分のエゴを脇に置いておかなくてはなりません。俳優としての演技なんて忘れなくてはいけない。彼らには、「洗練された魅力にノー!」、「スター・システムにノー!」、「すべては物語のために!」というところがあって、そこが気に入っています。

――ずっと彼らと仕事をしたいと思っていたのでしょうか。
そうです。彼らの、現実や社会の描き方はすばらしいと思います。それにダルデンヌ兄弟は、ベルギーそのものです! 彼らは計り知れない繊細さをもって、私たちの国を描いています。彼らの世界に入れるなんて、とても光栄です。映画作家の持つ世界が独特であればある程、彼らと接することで、私も豊かになるのです。

――撮影前の準備期間中に得たものはなんですか。
数え切れないほどたくさんあります。本能的に私は、サマンサをもっと優しい人にしようとしていました。しかし、ダルデンヌ兄弟とリハーサルを重ねて行くうちに、過度に母親っぽく見えないようになっていったのです。中立性を保つことが重要で、それには十分な準備が必要でした。クランクインする前に1カ月以上かけて、衣装をつけ、実際に撮影する場所でリハーサルしました。他の映画の撮影とはまったく違います。ダルデンヌ兄弟は、探究し、時間をかけるのが好きなのです。私もそうです。

――トマ・ドレとの共演はどうでしたか。トマはわずか13歳だったわけですが。
ダルデンヌ兄弟は、みんなを平等に扱う才能があるのです。私も「熟練した女優」の立場にいるとはまったく思っていませんでした。トマは私よりも前からリハーサルに参加していたので、私よりずっと先輩だったわけです。トマは、私より早く、自然に、登場人物そのものになっていました。彼には、それまでの経験をそぎ落とす必要がなかったのです。

――この経験は、あなたの映画理解を変えましたか。
この作品以後、抑制するのも、女優としてのテクニックの一つになりました。私はずっと創造すること、発明することが好きだったのですが、あえて演技しようとしない、という経験は、私のキャリアをこれまでになく豊かにしてくれました。

――本作で再びカンヌのコンペに参加されましたね。
『少年と自転車』でカンヌに再び来られたことを本当に誇りに思います。この作品は、私が何よりこだわりを持っているジャンルの映画です。この映画は、人間の住む世界をよりよく理解する助けとなってくれるのです。

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