―『H story』では二人の登場人物が異国に置かれたわけですが、今度はあなたご自身が、あなたの知らない都市、知らない言語で撮ることになったわけです。言葉を知らないということはハンディキャップになると思いますか。
私はフランス語がほとんど分かりませんが、それでもそれがハンディキャップになるとは全く思いませんでしたね。もし私が自分固有の映画、自分一人の考えを反映した映画を作ろうとしていたならば、言語や私のビジョンを俳優やスタッフに伝えるのに問題を生じたかもしれません。それに、フランスであれ、ヨーロッパであれ、自分がその文化を完全に理解できるとも思えない。もし全能の立場を望むのであればこの映画をフランスで撮りはしなかった。私はイメージを支配しようなどと思いません。
この映画は一人の人間によるものではない。それが素晴らしい。私は俳優達、フランス人スタッフとこの映画を作り、そして実際まったく不安はなかった。フランスで生活して、フランス社会を良く知っている俳優やスタッフが、彼らの正確な見方を持ち込んでくれるのですから。
私は映画をコントロールする気はありません。私は撮影という現実の中では触媒のようなものに過ぎず、それぞれの様々なリアクションを引き出す。私の映画の作り方はそんな具合なので、言葉の問題もそれほどではありませんでした。ただ、私の演出法を熟知してくれていた、プロデューサー/通訳の吉武さんの仕事振りがあればこそですが。
―レストランの場面などを見ると、会話が必ずしもちゃんと聞き取れない時もあり、言葉の意味そのものよりも、身体や顔、身振りや音などのほうが明らかに重要なのですね。
まさにその通りです。母国語で映画を撮っているときも、意味よりは音響として俳優の台詞に耳を傾けています。無論台詞は重要ですが、それは音響の素材に過ぎない。声の反響や抑揚、それは感情表現の土台となる身体の一部であるわけですが、歩き方やせきばらい、服のしわと同じくらい重要なのです。私は音の変化、ホテルのドアが閉まる音の響きも、人物の感情表現の大きな要素だと思っています。
音楽の鈴木治行さんはノイズに随分注意を払って作曲してくれました。会話が止み、沈黙がその場を支配する時、イメージは意識下の感情を表現し始める。レストランの場面については、会話が止まった後の沈黙の瞬間が、言葉の意味以上に重要なのだと思っています。
―かなり撮影期間が限られているのをうまく利用したようですね。速く撮るほうがあなたには都合がいいのでしょうか。即興で撮る現場ではどれだけの準備をするのでしょうか。
速く撮るのは私にはとても都合がいい。日本では大規模なプロダクションを除いて、大抵の監督は撮るのが速いです。撮影日数を減らし、製作費を下げれば、中身に対する自由を得られるのです。経験から身につけた戦略ですね。日本映画の平均的撮影時間に比べても私の撮影日数はかなり短い。
しかし例え限られた撮影日数でもぜいたくに使うことは出来ます。『不完全なふたり』の撮影は11日間、予定より1日少なく済みました。11日で私には十分でした。この11日間に話し合う時間をたっぷり持つことが出来たのです。私はショットごとにいくつもテイクを撮るのが好きではありません。
同じことを何度も繰り返していると、わざとらしい完璧さを求めるようになってしまう。そんなものは必要ないのです。撮影前に私は俳優と何度も話し合いをします。その上で撮影時には、初めて現れる何かを掴もうとするのです。
―キャロリーヌ・シャンプティエとの協力関係についてお話願えますか。
『H story』の経験を通して、私たちは大きな信頼関係で結ばれ、互いに深く理解しあいました。私たちの関係は、普通の監督と撮影監督の関係を超えています。私たちは撮影と演出一体のチームなのです。そればかりではない、映画の製作過程でかなりのウェイトを占めるキャスティングでも、彼女を大いに頼りにしました。
彼女は俳優に関しては第六感が働くのです。『H story』で、ベアトリス・ダルを推薦してきたのは彼女です。『不完全なふたり』については、ヴァレリアとブリュノを選んだのは私ですが、その他のキャストについては彼女のアイディアに拠っています。この映画では美術監督を使いませんでした。美術と衣装の責任者は彼女だったのです。
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―キャロリーヌ・シャンプティエが現場で支配的な、というか意思決定の役割を演じたということ、ほとんど共同演出に近いほどであったことについては、言葉の問題があるのでしょうか。
この映画については、彼女はまぎれもなく共同演出者だと思っています。
スタッフと俳優がフランス人だったので、確かに一部の撮影については彼女が指揮しました。しかしそれは言葉の問題ではなく、この映画がまるで自分の映画であるかのように、映画の創造的な部分に関与しようとする彼女の意思ゆえなのです。私は、スタッフの全員がこんな風に、各自自分の見方を持ち込んでくれたことに大いに感謝しています。日本で撮る時、スタッフの一人一人が一家言を持ち、提案してきます。撮影時、一人でいるのはつまらない。撮影は幾つもの輪の中で行われるべきでしょう。例えばプロデューサー/通訳の吉武さんも、まるで助監督のように、俳優の演技について意見を出していました。誰もが、自分自身の映画のように働いていたのです。
―ヴァレリア・ブルーニ=テデスキとブリュノ・トデスキーニを選んだのはなぜでしょう。
『H story』の時に既にヴァレリアを考えていました。しかし私が考えていた役よりかなり若かった。2003年に一年間フランスに住んでいた頃、どうしても彼女に会いたいと思いました。実際に会ってみると、直感的に、次回作は彼女だ、と思いました。一緒にロベルト・ロッセリーニの話をして、心理だけでは説明できない人間の行動を描こうということになった。そこから『不完全なふたり』が生まれたというわけです。しかしその当時は語るべき物語がなかった。
ブリュノとの出会いはもっと後です。直ぐに強い絆、生まれた時からあったような絆を感じましたね。私のことを「日本人の兄」と言ってくれます。
ヴァレリアとブリュノは似たような苗字ですが、共に国立ナンテール・アマンディエ劇場俳優養成学校で演劇を学び、昔からの友人同士。一緒に出た場面はありませんが、同じ映画に出演もしています。これは面白いと思った。二人がいいカップルになると、私は予感したのです。
―今までのあなたの映画では、一つの場面の中で、ごく限られた数の登場人物=俳優しか画面に映りません。『不完全なふたり』では、確かに数人の親密な場面と同時に、集団の場面も試みておられます。集団の場面はやはり違うものでしょうか。
そうですね。あの場面はかなり不安でした。俳優の数が多いからというだけでなく、結婚式の撮影場所を、レストランにするか、アパートにするかで大分迷ったのです。
撮影前に一人一人とかなり話しこんだので、演技の空間は自然と出来上がっていきました。それに集団の場面を撮影するのは楽しかった。一人一人が自分の物語を作り上げていました。ルイ=ドー・デ・ランクサンとジャック・ドワイヨンは彼ら自身監督なので、あの場面に多くのものをもたらしてくれました。
交わされるたくさんの会話、移り変わる状況にかなり興奮を覚えましたね。
―二人で生きることの難しさ、これがあなたにとっては尽きせぬ物語の泉なのですか。
この映画企画の製作意図のメモのなかにエマニュエル・レヴィナスの言葉を引用しました。「愛において、二人であることを人は嘆き続ける。しかし私の意見では、最も重要なのは、二人であるということなのだ。そこに愛のすばらしさがある。決して溶け合って一つにはなれないという点に」。今までずっと、私は他者を描こうとしてきました。映画はまだ、「二人であること」を描くことも、再現することも出来ていないのです。
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