1969年ボスニア・ヘルツェゴヴィナ生まれ。サラエボのフィルム・アカデミーで習作を数本撮った後、 92年のボスニア紛争勃発と同時にボスニア軍に参加。「ボスニア軍フィルム・アーカイヴ」を立ち上げ、戦地の最前線で300時間以上の映像を撮影。 その映像はルポルタージュやニュース映像として、世界中で放映された。
94年にベルギーに移住してINSASで再び映画を学ぶ。2001年にボスニア紛争を描いた『ノー・マンズ・ランド』で監督デビューを果たし、 アカデミー賞(R)外国語映画賞、ゴールデン・グローブ賞外国語映画賞、カンヌ国際映画祭脚本賞などを数々の賞を受賞する。 05年にはエマニュエル・ベアール、キャロル・ブーケなどフランスを代表する俳優たちを起用し、クシシュトフ・キエスロフスキの 遺稿を映画化した『美しき運命の傷痕』を発表。その後、コリン・ファレル主演の「戦場カメラマン 真実の証明」(2009)、 「Circus Columbia」(2010)で、戦争とその結果について描いた。08年ボスニア・ヘルツェゴヴィナにて「私たちの党」という政党も立ち上げている。
~社会的に恵まれない人々~
この映画は現実の事件の再現です。その意図するところは、ボスニア・ヘルツェゴヴィナの差別を示すことです。社会について、あらゆる種類の疎外や差別について、私たちは議論を促すだけでなく被害者の置かれた状態を感情的に理解し「自分たちはどんな人間になってしまったのか」を、自身に問うために、この話を描かなければならないと思いました。あの戦争で人々の信じられないような勇気と献身を目撃しました。自分の命を懸けて困っている人を助けようとしていました。戦争から15年が経ち、私たちは社会的に恵まれない人々から目を逸らし、自分たちを取り囲む恐怖を見て見ぬ振りをするような社会に生きています。その中に善良な人間がいない限りは、どんなシステムであれ非人間的なものなのです。
~差別~
本作の中には人生の悲しい事実があります。単純に彼ら夫婦がロマだから民族差別され、このような不幸な出来事が起こったとは思いません。ボスニア・ヘルツェゴヴィナには多くの被差別民がいます。この国のほとんどの人は何らかの形で差別を受けているのではないかと思います。貧しさから差別されているということもあります。これは誰の身にも起こることなのです。私がこの映画を作ったのは、彼らがロマだったからではなく、起こった出来事に頭にきたからです。この夫婦は戦ったし、威厳があり力があった。悲壮な人ではなく偉大で愛すべき人です。私は恥ずかしながら、彼らに会うまでロマといえば信号で車の窓ガラスを拭きに来たり、物乞いしている人しか知らなかった。私が最も描きたかったのは、ひとりの女性が医療を拒まれ、出血で死にそうになったという事実です。もし僕の妻だったとしたら、僕は人殺しもしかねない。ナジフは、ただひたすら解決の方法を探し続けた。その点を僕はとても尊敬しています。
~企画の起源~
2011年の年末、地元の新聞でセナダのことを読みました。私は本当に頭にきて、すぐに友人でプロデューサーでもあるアムラ・バクシッチ・ツァモに電話し、この件について知っているか尋ねました。数日後、私はこの村を訪ねて、この夫婦に温かく歓迎されていると感じました。映画を作りたいと伝えると少し怯えたようでした。私自身も何をしていいのかその時は良く分かってはいませんでしたし、この出来事を通常の映画にするには1年か2年かかる、ということでアムラと私は意見が一致し一度は諦めました。数日後、私は再び村に戻り、映画で自分たち自身を演じてはくれないか、と彼らに提案してみたのです。彼らはどうしていいか分からないようでした。私もこんなことはやったことがなく、最悪の場合、誰にも映画を見せる必要はない、と言いました。それでもやってみたかったのです。数日後、彼らが同意してくれました。どんな結果になるかは確信が持てなかったのですが、やってみなくてはならないと感じていました。
~真実の物語~
これは真実の物語です。できる限り綿密に描きました。すべての場面をナジフに説明してもらい、その通りに再現しました。きちんとした脚本はありません。もっとドラマティックにする必要も感じませんでした。起こったこと自体がすでに信じがたいものだったからです。映画に登場するほとんどすべての人々は、実際の出来事で同じ役割を担った人たちです。違う人に演じてもらったのは、セナダを手術するのを拒んだ医者です。これは誰の目にも明らかな理由から映画に出すことができなかったので、医者である私の友人に出演を依頼しました。もう一人、セナダを手術した医者も友人です。これは予算が限られていて、サラエボで撮影しなければならなかったからです。セナダとナジフは映画に出てきたポーリャ村というロマ地区に住んでいます。その住民のすべての協力に私はとても感謝しています。ほとんどの場面は実際の場所で撮られています。