映画音楽をやるようになったきっかけは?
僕の人生はいつもそうなんだけど、偶然の連鎖だね。物心ついた頃から映画を見るのが好きだった。90年代初めにバンド活動を始めた時、最初のバンドはダーティ・スリーというインストゥルメンタル・バンドだったんだ。90年代半ばにニック・ケイヴ&ザ・バッド・シーズと仕事をするようになって、関係が深まっていった。2004年、ニックが脚本を手がけたジョン・ヒルコート監督の「プロポジション-血の誓約-」(05)の映画音楽を一緒にやってくれと言ってきて、これまでロックンロールでやってきたアプローチが、映画の世界でも生かせると分かったんだ。映画の仕事は期待していなかった新しい自由を与えてくれた。「プロポジション-血の誓約-」で映画音楽に関わって以来15本の映画音楽をニック・ケイヴと共にやってきて、その中には『ジェシー・ジェームズの暗殺』(07/アンドリュー・ドミニク監督)、『ザ・ロード』(09/ジョン・ヒルコート監督)、『欲望のバージニア』(12/ジョン・ヒルコート監督)がある。『裸足の季節』は僕一人でサウンドトラックを担当した最初の映画だ。
本作の音楽を担当することになった経緯は?
デニズの夫と共通の友人の結婚式で知り合って、電話番号を交換したんだ。しばらくして彼からメールがきて「妻が映画を撮ったので、僕に音楽をやってほしい」と。彼女は、僕がこれまで作った映画音楽から察するに、作品の雰囲気に合うと思っていたようだ。ラッシュを見て打ちのめされたよ! でもツアーが迫ってたし、バッド・シーズの新しいアルバム製作の最中だったしで、時間がなくて泣く泣く断ったんだ。当時妊娠8カ月のデニズは、「あなたがノーと言うなんて考えもしなかった!」って。その翌日、一日中レダ・カテブ監督と彼の短編映画「Pitchoune」(15)の作業をしていたら、彼が言うんだ、「映画監督にとって最初の作品にはパワーがあり、特別だ。だからできるだけ手助けしてあげるんだ」って。僕の妻も、やりなさいとずっと言っていた。デニズだって赤ちゃんがお腹にいながら編集を続けているんだから、僕にだって音楽をつくる時間くらいあるだろう、って。それで僕はデニズに『Les Proies』という曲を送ってみた。彼女はそれを映画の中にいれた。その2日後に僕は彼女に電話して、「やってみよう!」と言ったんだ。
どんな音楽を作ろうと思っていましたか?
映画を見て、この作品にオーケストラ音楽を当てはめたら、女の子たちの感情が呑みこまれてしまうのは明らかだった。大きなキャンバスの大きな筆触ではなくて、もっと小さなパレットを使うべきだと。ラーレの声にはアルト・フルートを選択し、それに対してギリシャ悲劇のコーラスのように応える声にはヴィオラを当てた。この二つの楽器には気高さがあり、また、感傷的になり過ぎない程度に悲しみやメランコリーさもある。少女たちの行動には威厳があり、音楽はそれを反響させるものであってほしかったんだ。それにアルト・フルートは、『ビリー・ザ・キッド/21才の生涯』(73/サム・ペキンパー監督)を連想させる。『裸足の季節』には西部劇を思わせるところがあって、あの映画への目配せをしておきたかったんだ。少女たちの演技は力強いけど、僕は過度に感情を揺さぶるような音楽は避けたかった。音楽と映像の関係に関しては対位法があるのが僕は好きなんだ。
『裸足の季節』を見て直ぐに思い浮かべたのはピーター・ウィアー監督の『ピクニックatハンギング・ロック』(75)だった。揺れる髪の毛、太陽の光、飼いならされていないエネルギー。あの映画音楽には葦笛もあったと思う。この映画で使ったフルートは、それに対する間接的な応答なんだ。
監督との共同作業はいかがでしたか。
はじめからデニズは、自分が何を望み、何を望んでいないかはっきり分かっていた。音楽について、これは好き、これは嫌いってはっきり言う映画監督は珍しいね(笑)。彼女はこちらが提示したものについて、まるっきり却下するのではなくて、「ここは切って」と指示ができる人。彼女は僕の音楽をよく知っていてくれたので、対話ができて、それが助けになった。音楽の締め切りが3週間を切っていたから、通信ラインにかじりついていたよ。自宅の庭にある僕のスタジオで作業して、デニズに聞かせ、これはいい、これは駄目、とコメントをもらう。デニズは、何が必要か正確に理解していた。彼女と仕事ができてこれ以上幸せなことはなかったよ。これはシナリオを読まずに音楽をつけた初めての映画だ。映像だけ見てつけたんだ。作業前にすべての映像を見たのもこれが初めてだったんだよ。
1965年、オーストラリア・ヴィクトリア州生まれ。学生時代、ヴァイオリンとフルートを学ぶ。大学卒業後、ヴィクトリアで教師として働いたのち88年、ヨーロッパ旅行へ。オーストラリアに帰国後、作曲活動を始める。90年代初めからバンド活動をスタートし、95年にニック・ケイヴが率いるニック・ケイヴ&ザ・バッド・シーズのレコーディングに参加した。98年、「Praise」(ジョン・カラン監督)で初めて映画音楽を手がける。ニック・ケイヴが脚本も手がけた「プロポジション-血の誓約-」(05/ジョン・ヒルコート監督)でニック・ケイヴとともに音楽を担当。以降、『ジェシー・ジェームズの暗殺』(07/アンドリュー・ドミニク監督)、『ザ・ロード』(09/ジョン・ヒルコート監督)、『欲望のバージニア』(12/ジョン・ヒルコート監督)、『母の身終い』(12/ステファヌ・ブリゼ監督)、『涙するまで、生きる』(14/ダヴィド・オールホッフェン監督)など15作品でニックとタッグを組む。本作『裸足の季節』で初めて、単独でサウンドトラックを手がけた。