夜の街で一人のドラァグクイーンが踊っている。家賃を払うことも出来ず、その日暮らしの毎日の彼(彼女)は、密かに夢を抱きながらもそれを叶えるすべはない。そんなドラァグクイーンに恋をした弁護士は離婚して一人暮らし。自分がゲイであることを周囲に隠して生きている。そして、母親に疎んじられ、人形を抱きしめて部屋の片隅で息を潜めているダウン症の少年。寄る辺なく人生を漂流しているような3人、ルディ、ポール、マルコ。彼らは偶然出会い、〈家族〉というささやかな夢を見る。
これまでゲイを主人公にした映画は数多く撮られてきたが、『チョコレートドーナツ』のように子供を育てるゲイのカップルの物語というのはそれほど多くない。ここ数年の間に日本公開された作品で印象に残っているのは、精子提供を受けて出産した子供を育てるレズビアンのカップルを描いた『キッズ・オールライト』(11/リサ・チョロデンコ監督)だ。あの映画では主人公たちがレズビアンであることに重きを置かず、同性婚をしても一般的な家族と変わらない家族の絆があることを描いていた。しかし、『チョコレートドーナツ』の舞台になったのは1979年。当時はゲイであることが逮捕される充分な理由となり、前年の78年にはアメリカ初のオープン・ゲイの市議会議員、ハーヴェイ・ミルクが暗殺されるなど、同性婚なんて考えられなかった時代だ。それだけに本作では、3人の前に容赦なく差別や偏見が立ちはだかる。
本作ではルディ役をアラン・カミング、ポール役をギャレット・ディラハントが熱演。二人の息はぴったりとあっているが、なかでもルディはカミングにはハマり役だ。バイセクシュアルであることをオープンにしているカミングは07年には同性婚をしているし、98年に上演されたミュージカル「キャバレー」のMC役でトニー賞を受賞するなど、演技力に加えて歌唱力にも定評がある。当初、監督のトラヴィス・ファインは、ルディ役にゲイであることをカミングアウトしているミュージシャンのリッキー・マーティンを考えていたとか。それはそれで興味深いが、カミングが演じるルディには『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』(01/ジョン・キャメロン・ミッチェル監督)のヘドウィグを思わせるようなエキセントリックなチャーミングさがある。ポールに自分の身の上を即興で歌ってみせるくだりなんて、ミュージカルのワンシーンのようだ。そして、このシーンをはじめ、全編に散りばめられた数々の歌が映画で重要な役割を担っている。
70年代といえばディスコ。ルディの働くクラブでは、毎晩ディスコやソウル・ミュージックのヒット曲が鳴り響いている。まずルディの登場シーンで流れているのは、カナダ出身のディスコ・ディーヴァ、フランス・ジョリが79年に発表してディスコ・チャート1位に輝いた「カム・トゥ・ミー」。〈私のところに来て〉という歌詞が、舞台上からポールに流し目を送るルディの気持ちを表している。2度目のダンス・シーンでかかっているのは、3人組の人気ガールズ・グループ、ハニー・コーンが71年に発表した「ワン・モンキー・ドント・ストップ・ノー・ショウ」。〈猿が一匹いなくなってもショウは続く〉という歌詞は、ルディが喧嘩したポールに対して〈あなたなんていなくても私の人生は続くのよ!〉とタンカを切っているように聞こえる。
そうした店で流れるアッパーな曲と対照的に、ルディが歌う曲はしっとりとしたバラードばかりだ。ポールにプレゼントされたオープンリールのテープレコーダーにルディが初めて吹き込むのは、ジャジーにアレンジした「カム・トゥ・ミー」。ルディの歌声は幸せに満ちていて、ポールとマルコに〈一緒に家族になりましょう〉と囁きかけているようだ。一方、ルディが初めてハリウッドのクラブで歌うのは、映画『カー・ウォッシュ』(77/マイケル・シュルツ監督)の主題歌を歌ってブレイクしたローズ・ロイスが78年に発表した「ラヴ・ドント・リヴ・ヒア・エニイモア」。かつてマドンナもカヴァーしたソウル・クラシックスだが、〈もうここに愛はない〉と歌うルディの歌声には、裁判でマルコを失った深い悲しみが刻みこまれている。そんななか、とりわけ胸を打たれるのが、ラストでルディが熱唱する「アイ・シャル・ビー・リリースト」だ。ボブ・ディランが書いたこの曲はザ・バンドが68年に発表したヴァージョンで有名だが、ルディが憧れるベッド・ミドラーや忌野清志郎など様々なミュージシャンがカヴァーしてきた名曲。カミングはベッド・ミドラーがカヴァーした映像を監督から見せられて演技の参考にしたらしいが、ルディが全身全霊を込めてこの歌を歌うシーンには圧倒される。歌詞のなかのフレーズ、〈Any Day Now(いつの日か)〉が本作の原題になっているが、そのひと言にルディの怒り、悲しみ、願いなど、様々な想いが凝縮されているようだ。
そして、映画のエンドロールに流れるルーファス・ウェインライト「メタファリカル・ブランケット」も感動的だ。ルーファスもカミング同様に、ゲイであることをカミングアウトしているシンガー・ソングライター。これまでルーファスは様々な映画に曲を提供してきたが、ゲイのカウボーイの純愛を描いた『ブロークバック・マウンテン』(06/アン・リー監督)のエンドロールにも彼の歌が流れていた。「メタファリカル・ブランケット」は昨年のアカデミー賞でオリジナル楽曲賞の候補になったが、この美しくも切ないナンバーはまるでルーファスが本作に捧げた花束のようだ。
ゲイについての話が多くなったが、本作は決してゲイについての映画ではない。ゲイであること、ダウン症であることは、ひとつのメタファーに過ぎない。本作では様々な理由で社会から見捨てられた孤独な人々が、自分たちの居場所を求めて格闘する物語なのだ。マルコが自分に与えられた部屋で涙ぐむシーンがあるが、ようやく落ち着くことができる場所を与えられたのはルディもポールも同じこと。そして同時に本作は、まったく性格の違う恋人達、ルディとポールが心を通わせていくラヴストーリーでもある。お金や力もない者も、愛だけは手に入れることができる。なんて書くと感傷的過ぎるかもしれないが、悲しい出来事よりも、3人が束の間過ごした幸福な日々がいつまでも心に残る作品だ。