アボルファズル・ジャリリ監督 インタビュー
――この映画の舞台になっている“デルバラン”という土地は実際にあるのでしょうか。
アボルファズル・ジャリリ(以下AJと略す):あります。イラン北東部のホラサン地方の、アフガニスタン国境に近いところです。子供の頃、父の仕事の都合で、ホラサン地方に住んでいたことがありました。このあたりは冬になると非常に寒いところです。
――撮影期間はどれくらいかかったのでしょうか。
AJ:1999年の11月中旬に撮影を開始しましたが、撮影が終ったのは2000年の2月末でした。その間、撮影現場に行きっぱなしだったわけではありません。機材が故障してしまった時、またスタッフの疲労が極限にまで達していた時など、何度か撮影を中断し、スタッフをテヘランに返しました。それでも、実際に撮影した日数は3ヶ月に達していると思います。運のいいことに、撮影現場の近くに鉱山の宿舎がありましたので、そこを貸してもらって合宿しました。
――この映画には多彩な人物が登場しますが、それらはすべて最初から頭の中にあったのでしょうか?
AJ:何人かのキャラクターは、最初から頭の中にありました。ただし、キャインと会った後、キャインと合うように役の設定を変えたり、新しい役を作ったりしました。キャスティングする時は、風貌を優先して決める場合と、その人の内面を理解した上で、その人に合った役を与える場合とがあります。車や機械が壊れた時にいつも呼ばれる技師を演じているのは、もともとはお茶係として参加していたスタッフでした。映画の中ではっきりと説明していませんが、技師はこの土地に流刑されてきた政治犯という設定です。彼の部屋のカレンダーには×印がつけられていますが、これは彼が刑期を終えて戻るのを心待ちにしていることを示しています。実際、イランにはこのような形で刑罰を受けている人々がいます。彼らは牢獄に捕らえられているわけではありませんが、決められた地域を出ることは許されません。技師にとっては、この砂漠自体がある意味での刑務所だと言えるのです。
|