Director’s Interview

―『マイ・サンシャイン』のアイデアはどこから生まれたのでしょうか。

2005年のパリ郊外暴動事件(註1)がすべての始まりです。私は生後半年からずっとフランスで暮らしているにも関わらず、フランス人として扱われていません。国籍申請は二度却下され、パスポートも申請する度に、通るか不安になります。母国と思っている国に認められない、という拠り所のなさを感じ続けてきました。私自身がよく知っている「愛している母国に拒絶される」という感情がパリ郊外暴動事件を引き起こしたのです。
一年後、ある女性がLA暴動について話してくれました。このふたつの暴動はまったく違った環境で起こりましたが、究極の絶望感が発端である点では同じものです。

註1)警察に追われた北アフリカ出身の3人の若者が変電所に逃げ込み、そのうち2人が感電死し、これをきっかけに勃発した暴動。

―ミリーをはじめ、登場人物たちはどのように生まれたのでしょうか。

作りたい映画のイメージはすぐに浮かびました。その後、3年に渡り、何度もLAを訪れました。サウスセントラルや、暴動が始まった地区を回り、歴史的事件として自分の中に情報を取り込んでいきました。ギャングのメンバー、LA市警、住民たちのメンタリティを理解しようとしました。サウスセントラルは、都市から切り離された島のようなものです。白人はめったにそこに足を踏み入れません。見えない境界線があるようでした。
『マイ・サンシャイン』で描かれるシーンはすべて現実をもとにしています。トイレを盗んだ男、暴徒を説得したファスト・フードの店長……みな実在の人物なのです。ミリーも実在します。サウスセントラルで運命的に出会いました。教会を探して迷ったときに、道を聞くと「私の教会にいらっしゃい」と言い、道案内をしてくれました。そこからミリーとの友情が生まれました。ミリーはある象徴のような人で、全人類の子供の面倒を見るホストマザーなのです。

―ハル・ベリーとダニエル・クレイグはどのように選んだのでしょうか。

ダニエル・クレイグは、多様な役柄を演じてきた偉大な俳優です。身体的な俳優でもあり、彼のパレットには、バスター・キートンやハロルド・ロイドに近い色調もあるのです。ダニエルが『マイ・サンシャイン』で演じたオビーは、何よりもその多様な色が必要でした。ハル・ベリーには、『裸足の季節』のアカデミー賞®のキャンペーン中に会いました。ユーモアと優雅さを併せ持った、ミリーの情熱にふさわしい女性です。でも、彼女に初めて会った時は、ミリー候補としてはまったく考えていませんでした。それなのになぜか『マイ・サンシャイン』の物語を彼女に話していました。このときの出会いの火花から、数年後に映画が生まれることになったのです。

―当時のLAで聞かれていたヒップ・ホップではなく、ウォーレン・エリスとニック・ケイヴの音楽を選びました。

ウォーレンとは『裸足の季節』の時から、共にストーリーを考えることができる関係になりました。音楽は語りのひとつであり、かつ物語がもたらす感情を表現します。ニック・ケイヴも偉大なアーティストです。彼らは、ユニークな方法でストーリーテリングに加わっているのです。

―LA暴動は、現在でも今日性があります。25年前の暴動について、どうお考えですか。

今でも二つの問題が片付いていません。まず、アメリカの「人種問題」です。解決からほど遠い。ニュー・オーリンズ取材を行ったとき、様々なタブーやヒステリックな反応を見ました。次に、「B級市民」的な感覚です。多くの人がその存在を無視している市民がいます。世界中での移民難民への対応が顕著ですが、出自や肌の色に基づいて、命に価値がある人とそうでない人を分けている。この二つは現在に続く問題です。

―ニュース映像が多用されますが、どのような効果を狙ったのでしょうか。

LA暴動のきっかけになったロドニー・キング事件と、ラターシャ・ハーリンズ射殺事件の映像は、突然アメリカの病理を照らし出しました。この暴力的な映像の中に、大衆は自分たちの姿を見つけ出したのです。『マイ・サンシャイン』で描きたいと思ったのはこういったことです。まるで知人のような距離感の人々の映像から、人はどのように影響を受けるのか。この三面記事的な事件の中に、街が自身の姿を見いだし、機能不全に陥る。私たちが生きている現在も同じことが起きています。アマチュアのカメラマンが撮ったほんの小さな三面記事が、一人一人の人生に影響を与えるような視覚文化の中に生きているのです。