Bitters End
配給作品
『ヴェルクマイスター
・ハーモニー』
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海外評<ヴェルクマイスター・ハーモニー
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「サタンタンゴ」と同じく、『ヴェルクマイスター・ハーモニー』は、長回しの連続、大きく動くカメラ、普通のカット割りを用いない、勇壮な作品である。そして、言葉は少なく文学的だ。というのは、物語はリアルタイムの塊から集められ、平凡な出来事が、何か叙事的なことのように繰り広げられるのだ。各カットがそれぞれ重要になる。這うような一台のトラックで町にやってきたのは謎めいたサーカスの先陣であり、その見せ物は神秘的なプリンスであり、「今世紀の偉大な衝撃」と広告でうたわれる、張りぼてのクジラである。
映画はガラクタの真ん中に横たわる、「時代の偉大な衝撃」でラストシーンを迎える。冷笑するかのように悲しい。『ヴェルクマイスター・ハーモニー』は黙示録の後の、悔いの残る有害な光の中で終わる。いかに否定しようが、比喩的な解釈を招く映画だ。

ヴィレッジ・ヴォイス紙


魅惑的であり、同時に気に障る。 謎めいたタイトルのクラスナホルカイ・ラースローの小説「抵抗の憂鬱」を脚色した『ヴェルクマイスター・ハーモニー』は、必要な問いに答えられないことへの曖昧な怖れについての空想的な表現だ。無秩序は、世界の秩序の一部分なのか?出来事に高尚な意味はあるのか?腐敗や崩壊に美は存在するのか?しかし、この歩み寄ることなく、時には理解できない世界の解釈とは別に、タル・ベーラは映像で我々の感性に語りかける。
また、この映画の真実は、その音楽メタファーにも発見できる。和音も不協和音も音楽の一部なのだ。秩序とカオスが世界の最も基本的な構成要素であるように。

ル・モンド紙

ビジュアル


タル・ベーラは孤高の芸術性で、20年以上も"ハンガリーニューシネマ"の"ボス"というやっかいな肩書きを付けられている。ボスとはいえ、仲間はいない。翻って、タル・ベーラは疑いもなく、その孤立から印象的な創造のプライドを引き出す、孤高の映像作家の典型であるかもしれない。彼の映画は華麗で素晴らしい。そして、『ヴェルクマイスター・ハーモニー』もその例外ではない。彼の映画は、ー実存主義の詩・ゴシック調の空想・あるいは起きたまま見る悪夢?ー言い切る事は難しい。古めかしい未来に似せた、時代も不確かな名もないハンガリーの町に、謎めいたみすぼらしい人々の姿が現れる。彼らは世界の最後となり得る何かを待ち、移動サーカスの一団は、巨大なクジラの死骸を見せ物にする。 ここには「世界について」、タル・ベーラが持つ意見が含まれている。それは、彼の予知感覚、実験的時代認識、この世の呪われたものへの同情。一方、非常に造形の美しい、わびしいが心惹かれる、まるで金と黒で形成されたかのような、モノクロ映像にふけることができる。

リベラシオン紙