本作は、2011年の映画『アジャストメント』(ジョージ・ノルフィ監督)のセットから始まった。そこで、マット・デイモンと、彼の長年の協力者クリス・ムーア(*1)はデイモンの監督デビュー作についてブレインストーミングをしていた。俳優ジョン・クラシンスキー(*2)も含めた3人で案を出し合い、『マンチェスター・バイ・ザ・シー』の種ができた。
当初からデイモンは、ちょっとした判断ミスがきっかけで人生が崩壊してしまう男の話にしたいと思っていた。彼はプロデューサーとしてサインし、監督と主演を務める計画をしていた。「『マンチェスター・バイ・ザ・シー』は、兄の死後、甥の世話することになる男の、美しい映画だ」とデイモンは言う。「問題は、彼にとって故郷に戻ることが、彼の人生における大きな悲劇と向き合うことを意味していたことです」
ロナーガンに脚本依頼をしたのはデイモンだった。二人は、デイモンが、2002年にロンドンでのロナーガンの演劇「This is Our Youth」に主演したときにはじめて出会った。「ケニーの脚本は唯一無二だ」と、彼自身脚本家としてオスカー受賞経験のあるデイモンは語る。「彼の言葉を毎晩繰り返し言っているうちに、なんて完璧で精緻なんだろうと理解できた」
ロナーガンは、ストーリーのきっかけになる出来事、テーマやキャラクターを探求し、広げ、自分自身のオリジナルストーリーにすべく2年を費やした。そして生まれた脚本は、マサチューセッツの海岸で釣りをし、裕福な隣人たちのヨットを修理しながら、兄のジョーと共に育ったリー・チャンドラーの物語を中心にした、複雑で多層的なものになった。
スケジュールの都合で、デイモンが主演と監督を降板することになると、ロナーガンがそれを引き継いだ。しかし、デイモンのプロジェクトへのサポートは制作のためには必要不可欠だったとムーアは言う。
プロデューサーのキンバリー・スチュワード(*3)は、自身の新会社の初製作映画として、ロナーガンの力強い脚本を理由に本作を選んだ。「ケニーの言葉は素晴らしく、主人公の暗部を描きながら、ウィットとユーモアを忘れない。これまで見たことがないものだった」
脚本はプロデューサー、ケヴィン・J・ウォルシュ(*4)の心を動かし涙ぐませた。「脚本を読みながら、僕は何度も泣いた。この脚本の正直さ、真実に心底感動した。だって現実には、物事はいつもきれいにまとまりはしないのだから。人生で一度でも、このような映画に関われることは本当に幸せだ」
ムーアいわく、「ロナーガンは素晴らしい脚本家であるだけじゃない。彼はマスタークラスの監督でもある。誰もが彼のように彼の素材を監督できるわけではなく、微妙なニュアンスがあり、非常に注意深く作られているから、彼にしか正しく扱えない。ケニーは困難な状況にユーモアと命を吹き込んでくれた。僕は、美しくて、温かくて、生々しい感情のスペクトラムに感嘆しきりだったよ」。ロナーガンは、創作上のキャラクターたちを、まるで観客が昔からずっと知っていた人々と同じように大切に思わせる、とムーアは言う。
「これは、人々の心にずっと残る映画だ」とマット・デイモン。「彼が生み出すキャラクターたちは、とても深く、豊かに描かれている。緻密で説得力があるんだ。多くの映画のキャラクターは鉛筆のスケッチのようなもの。でもケニーのキャラクターたちは、実際に生きているように感じられて共感できる。力ある役者と脚本、そしてケニーの演出によって、この映画は忘れられないものになった」
*1 クリス・ムーア・・・プロデューサー。これまで手がけた作品に『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』(97)、『アメリカン・パイ』(99)などがある。
*2 ジョン・クラシンスキー・・・マサチューセッツ州ニュートン出身の俳優、プロデューサー。おもな出演作に、TVシリーズ「The Office」、映画『ホリデイ』(06/ナンシー・マイヤーズ監督)など。
*3 キンバリー・スチュワード・・・劇映画のプロデュースは本作が初。プロデュース作に、ドキュメンタリー映画「Through a Lens Darkly: Black Photographers and the Emergence