愛知県出身。1987年、『男の花道』でPFFグランプリを受賞。PFFスカラシップ作品『自転車吐息』は、ベルリン国際映画祭正式招待のほか、30を超える映画祭で上映された。以後、衝撃作を続々と誕生させ、各国で多数の賞を受賞。映画以外にも大ヒットドラマ「時効警察」(06・07/EX)の脚本・演出なども手掛けている。
近作では『愛のむきだし』で、第59回ベルリン国際映画祭カリガリ賞、国際批評家連盟賞と第9回東京フィルメックスのアニエスベー・アワードを受賞。『冷たい熱帯魚』は第67回ヴェネチア国際映画祭オリゾンティ・コンペティション部門、第35回トロント国際映画祭ヴァンガード部門など各国の映画祭に正式出品、テアトル新宿の動員を塗り替えるヒットとなる。さらに『恋の罪』が第64回カンヌ国際映画祭監督週間で上映、『ヒミズ』は第68回ヴェネチア国際映画祭で主演のふたりにマルチェロ・マストロヤンニ賞をもたらした。いま、最も新作が期待されている、まさしく日本を代表する鬼才監督である。
――前作『ヒミズ』で“3.11以降”の世界を描いた園監督ですが、本作も引き続き“3.11以降”を題材にした作品になりました。
やはり1本作って終わりというわけにはいきませんでした。次は真正面から“3.11以降”の映画を撮ろうと。『ヒミズ』は直後だったので、津波と原発事故のふたつのショックを受けて作りました。ただ、時間を置くと、津波と原発事故はまったく別の問題だなって。今回は原発に関する映画が撮りたかったんです。
――興味がより原発の方に向いたのはなぜですか。
原発には復興のめどがたたないという問題があるからです。原発は誰にとっても重要な課題だと思います。誰もが知っている事柄を深く掘り下げたかったんです。原発事故によって一家離散した方の話や、酪農家の方が自殺した話はいろいろなところで報道されましたよね。ニュースやドキュメンタリーが記録するのは“情報”です。でも、僕が記録したかったのは被災地の“情緒”や“情感”でした。それを描きたかったんです。
――実際に被災地で取材を重ねたそうですね。
『ヒミズ』を撮影した石巻や、福島に何度も行きました。そこでいろいろな町の役所の方や、避難所で生活している方たちの話を聞いたんです。そこから少しずつシナリオを書き始めていきました。今回はセリフもシーンも、なるべく想像力で書くことはやめて、取材した通りに入れようと思ったんです。勝手に書いた嘘は薄っぺらいだけですからね。空想して書くことは控えようと思いました。
――「見えない戦争」というセリフが登場しますが、“3.11以降”の日常に対する園監督の認識が、そのようなかたちで提示されていると思いました。
別にメッセージ性のあるものを作りたかったわけじゃないんです。政治的な映画を作りたかったわけでもありません。原発がいいか悪いかという映画を撮っても、それは映画としてあまり有効でないような気がします。映画は、巨大な質問状を叩きつける装置なんです。だから、そこで起きていることを認識して、ただ映画にするだけで十分でした。そうすることで、見えてくるものがいくつもあるんじゃないかって。取材した場所の中には、もちろん壮絶な被害を被ったところもありましたが、一方でとても落ち着いている場所もある。だから、センセーショナルなものとして描きたくはありませんでした。
――作品を観ると、原発の映画であると同時に、家族の映画であることを実感します。
そこを立脚点にしないと、原発も放射能も見えてきません。人間関係が成立していなければ、3.11を経ても、悲しみや怒りを感じることなく振る舞えてしまうんです。結果的に、家族の映画であり、生まれた大地に住む人の話になりました。
――なおかつ、父と息子の関係が太い柱をなしているところが、これまでの作品でたびたび父子の関係を描いてきた園監督らしいなと思いました。
取材したものを入れていく過程で、必然的にそうなったのです。人間同士の関係性を描くとき、恋愛関係や職場の関係に興味がないので、自然と血のつながった関係性に興味が行ってしまうんです。
――『ヒミズ』は“希望”が“絶望”に勝つ物語でしたが、本作は『希望の国』と題しながら、“希望”という言葉がとてもシニカルな印象を与えます。
シナリオを書き始めたときに、結末が絶望へ向かおうが希望へ向かおうが構わないと思ったんです。だから、わざわざ希望を見せようとは思いませんでした。実際、取材した中で希望に届くようなものはあまりありませんでした。ただ、目に見えるものの中に希望はないかもしれないけど、心の中にはそういったものが芽生える可能性があると思っています。
――本作で特筆すべき点のひとつに、映像の美しさがあると思います。撮影に関して、どのような考えをもってのぞみましたか。
日常を描かなければならないので、カメラは三脚に据えて、なるべくワンシーンワンカットで撮ろうと思いました。いわゆる日本映画の王道というんでしょうか。手持ちのカメラでガンガン撮って、短いカットをつないでいくのはやめようと思っていました。今回ほど撮影にうるさかったことは、これまで一度もありません。いつもはカメラマンに託して、自分では言わない方なんです。今回はサイズから何からいろいろ言いましたね。被災地のいまの風景を記録したかったので、その描写が大事だったんだと思います。
――音楽にマーラーの交響曲第10番第一楽章「アダージョ」を使用したのはなぜですか。
もともとマーラーは好きなんですが、今回は何も台本を書いていないときから、あの曲で行こうと思っていました。被災地でも、たまにあの曲を車の中で聴きながら、どんな映画を作ろうか考えていたんです。僕にとって、『アダージョ』は旋律の中から不穏さと眩しさが交互にあらわれるような曲で、不安定な中から湧きたつ光のイメージが今回の映画にぴったりだなと。この音をシナリオにすればいいんだと思うほどでした。
――出演者のみなさんの芝居も緊迫感に満ちています。キャスティングの段階から、園監督の意図が反映されていたのだと思いますが。
今回は特に、夏八木勲さんを再発見できたことが大きかったと思います。大谷直子さんともども、僕が高校生の頃に観ていた映画の方ですから。あの世代の俳優の中でも、土臭さといい、酪農家の世界観の中にきちんとはまる方だと思いました。いろいろな人を考えて、絞り込んだ結果です。
――村上淳さんと神楽坂恵さんが息子の洋一夫婦を演じています。
もし僕が洋一だったらと考えて書いたシナリオなので、息子夫婦の中には自分が入っています。特に、大人になれていないところがそうですね。
――原発事故を題材にした映画を作るうえで、どんな困難がありましたか。
製作的には、資金調達がこれまで以上に大変でした。やはり、いまの日本ではこういった映画を作ることが困難なんだなと。みんなでがんばって前へ進もうという作品なら違ったのかもしれませんが、暗部を見せるものにはみんな尻込みする。ただ、そうでなければやる意味がないですからね。最終的に、海外資本の協力を得ることになりました。
――今回の作品で、新たに社会派としての園監督の姿を見た気がします。
いや、自分では社会派という気持ちはそれほどありません。ただ、この映画を撮り終わったとき、まだこれで終わりにはできないと思ったんです。放射能の映画、福島の映画は、まだ撮っていかなければいけないなと。3部作になるというわけでもないし、近いうちに次を撮るのか、それとも少し距離を置くのかもわかりません。ただ、おそらくテーマとして今後も抱え続けていくのだろうなと思っています。