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『ハリウッド監督学入門』に登場するおもな人びと
Interviewee in Foreign Filmmakers’ Guide to Hollywood
1) 生年
2) ハリウッドで映画を作るようになったいきさつと、ハリウッドでの最初の作品
3) おもな代表作
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ロイ・リー
ROY LEE
(プロデューサー)
1) 1969年
2) 1996年にハリウッドに拠点を移し、2001年、ハリウッドでの初めてのプロデュース作を手掛ける。
3) 『ザ・リング』(02/ゴア・ヴァービンスキー)、『THE JUON/呪怨』(04/清水崇)、『ザ・リング2』(05/中田秀夫)、 『ディパーテッド』(06/マーティン・スコセッシ)、『アイズ』(08/ダヴィド・モロー&ザヴィエ・パリュ)、『シャッター』(08/落合正幸)
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ウォルター・パークス
WALTER PARKES
(監督・脚本家・プロデューサー・元ドリームワークス製作最高責任者)
1) 1951年
2) 1973年、イェール大学を卒業後、スタンフォード大学でコミュニケーションとドキュメンタリー映画について学ぶ。在学中、アメリカで生まれたナチス党について描いた初長編ドキュメンタリー映画「The California Reich」(75)を監督。この作品はアカデミー賞ドキュメンタリー部門にノミネートされ、カンヌ国際映画祭に特別出品された。
3) 『ウォー・ゲーム』(83/ジョン・バダム *脚本)、『レナードの朝』(90/ペニー・マーシャル *製作)、『スニーカーズ』(92/フィル・アルデン・ロビンソン *製作・脚本)、『メン・イン・ブラック』(97/バリー・ソネンフェルド)、『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』(02/スティーヴン・スピルバーグ)、『ターミナル』(04/スティーヴン・スピルバーグ)、『ザ・リング2』(05/中田秀夫 *製作)、『スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師』(07/ティム・バートン *製作)
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ジュリアン・テュアン
JULIEN THUAN
(中田秀夫エージェント)
1) 1974年
2) ハリウッドに移り住み、プロデューサーのチャック・ローヴェンの下で研修を積み、UTAに入社。直接携わった初めての映画は2005年のアダム・ラップ監督作「Winter Passing」(未)。
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ジョー・メノスキー
JOE MENOSKY
(脚本家・プロデューサー)
1) 1957年
2) TVアクション・シリーズ「Hunter」の原案を担当、その後スタッフライターとして雇われる。
3) 10年間、「スター・トレック」テレビ版の脚本とプロデュースに従事。
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一瀬隆重
TAKASHIGE ICHISE
(プロデューサー)
1) 1961年
2) 3カ国の監督によるオムニバス映画『ネクロノミカン』(93/クリストフ・ガンズ、金子修介、ブライアン・ユズナ)をプロデュースしたのがきっかけとなり、「東映Vアメリカ」レーベルでヴィゴ・モーテンセン主演の『ヤクザ VS マフィア』(93/フランク・カペラ)、ラッセル・クロウ主演の『NO WAY BACK/逃走遊戯』(95/フランク・カペラ)など、低予算のビデオ用映画を8本プロデュース。その後、『呪怨』のハリウッドリメイク版をプロデュースすることになったのを機にハリウッドに拠点を移す。
3) 『THE JUON/呪怨』(04/清水崇)、『呪怨 パンデミック』(06/清水崇)、『シャッター』(08/落合正幸)
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清水崇
TAKASHI SHIMIZU
(監督)
1) 1972年
2) 日本で製作したホラーVシネマ『呪怨1/2』に端を発して製作した低予算・単館系のホラー映画『呪怨』が国内外で話題となり、同じ頃中田秀夫の『リング』のハリウッドリメイク版『ザ・リング』がアメリカでヒットした経緯を受け、一瀬隆重プロデューサーとアメリカ側のプロデューサーとのあいだで『呪怨』のハリウッドリメイクの話が持ち上がる。そこに賛同したサム・ライミ監督の計らいにより、04年、彼が立ち上げたホラー専門レーベルの製作会社によって自らの手で『THE JUON/呪怨』をリメイク。清水いわく「パスポートも無く、英会話もおぼつかないため、いったん断るが、一瀬・サムの両プロデューサーに説得され監督することに……」。
3) 『富江 re-birth』(01)、『幽霊VS宇宙人』(03)、『稀人』(04)、TV「怪奇大家族」(04/TX)、『輪廻』(05)、『呪怨 パンデミック』(06)
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ジョナサン・リーベスマン
JONATHAN LIEBESMAN
(監督)
1) 1976年
2) 南アフリカ共和国出身。2000年に「Genesis & Catastrophe」(未)で脚本、監督、編集、プロディースを担当。
3) 『黒の怨』(03)、「RINGS」(05/未)、『テキサス・チェーンソー ビギニング』(06)
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ミシェル・ウェイスラー
MICHELE WEISLER
(プロデューサー)
1) 1966年
2) ジュリー・コーマンの映画「The Nest」で研修員として参加、実績を積む。初めてのプロデュース作品は、「The Liars' Club」(93・未/ジェフリー・ポーター)。
3) 『17歳 〜体験白書〜』(02 /ジェフリー・ポーター)、『ザ・リング』(02/ゴア・ヴァービンスキー)、『ザ・リング2』(05/中田秀夫)、『フェイクシティ ある男のルール』(08/デヴィッド・エアー)
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ブライアン・ウィッテン
BRIAN WITTEN
(プロデューサー、元スタジオ・エグゼクティブ)
1) 1965年
2) いくつかのコミック・ブックを執筆した後、ニューライン・シネマのマイク・デルカに誘われて入社。初のプロデュース作品は『スポーン』(97/マーク・ディッペ)で、共同エグゼクティグ・プロデューサーとして参加した。
3) 『ダークシティ』(98/アレックス・プロヤス)、『デトロイト・ロック・シティ』(99/アダム・リフキン)、『ファイナル・デスティネーション』(00/ジェームズ・ウォン)、『13日の金曜日』(09・製作中/マーカス・ニスペル)
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ガブリエル・ベリスタイン
GABRIEL BERISTAIN
(撮影)
1) 1955年
2) メキシコ出身。ヨーロッパに渡りドキュメンタリーやニュース映画のキャメラマンとして活躍後、イギリスの有名な国立映画・テレビ学校に参加。撮影監督としての初長編映画は、アンソニー・ホプキンス主演・マイク・ニューウェル監督の「The Good Father」(85・未)。
3) 『ブレイド2』(02/ギレルモ・デル・トロ)、『ザ・リング2』(05/中田秀夫)、『シャギー・ドッグ』(06/ブライアン・ロビンス)、『フェイクシティ ある男のルール』(08/デヴィッド・エアー)
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マイケル・クニュー
MICHAEL KNUE
(編集)
1) 1952年
2) KABC-TVの編集修業を経て、テレビ・シリーズ「Doctors Private Lives」の編集アシスタントに携わる。編集としてのデビュー作はNBCのテレビ・シリーズ「Chicago Story」。 初めて映画編集を手掛けた作品はスティーブ・マイナー監督の『ガバリン』(86)。
3) 「The Lily Dale」(96・未/TV) , 『闇を見つめる瞳』(95/ウェズリー・ストリック)、 『ヒドゥン』(87/ジャック・ショルダー)、『スポーン』(97/マーク・ディッペ)、『ザ・リング2』(05/中田秀夫)
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ハンス・ジマー
HANS ZIMMER
(音楽)
1) 1957年
2) ドイツ出身。有名な作曲家で指導者でもあるスタンリー・マイヤーズとの長いコラボレーションがきっかけで、ロンドンで映画音楽の世界に入る。スタンリー・マイヤーズとともに音楽を手掛けた作品に『マイ・ビューティフル・ランドレット』(85/スティーヴン・フリアーズ)がある。その後渡米し、88年の『レインマン』(バリー・レヴィンソン)でアカデミー賞音楽部門にノミネートされ一躍注目される。
3) 『ドライビング Miss デイジー』(89/ブルース・ベレスフォード)、『ライオン・キング』(94/ロジャー・アラーズ&ロブ・ミンコフ)、『ザ・リング』(02/ゴア・ヴァービンスキー)、『ラスト サムライ』(03/エドワード・ズウィック)、『ザ・リング2』(05/中田秀夫)、『ダークナイト』(08/クリストファー・ノーラン)
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【監督の紹介】
監督:中田秀夫
HIDEO NAKATA
1961年生まれ。岡山県出身。東京大学卒業後の85年、にっかつ撮影所に入社し小沼勝監督作品などに助監督として携わる。92年、テレビ朝日のドラマ「本当にあった怖い話」シリーズの「幽霊の棲む旅館」「呪われた人形」「死霊の滝」で監督デビュー。劇映画デビュー作は『女優霊』(95)。98年に『リング』を発表、この作品は日本のみならずアジア、ハリウッドで大きな話題となり、世界中にジャパニーズ・ホラーブームを巻き起こすきっかけとなった。その後も『リング2』(99)、『仄暗い水の底から』(02)と立て続けにホラー映画を手がけいずれも大ヒット、05年には自らリメイクした『ザ・リング2』でハリウッドデビューをはたし、初登場全米興収第1位を記録する大ヒットとなった。そのほかの監督作品に、『リング2』(99)、『カオス』(00)、『ガラスの脳』(00)、『ラストシーン』(02)、『怪談』(07)、『L change the WorLd』(08)などがある。
ドキュメンタリーは、映画監督ジョセフ・ロージーの波乱にみちた生涯を関係者の証言で綴る『ジョセフ・ロージー 四つの名を持つ男』(98)、日活時代に助監督としてついていた小沼勝監督と日活ロマンポルノにオマージュを捧げた『サディスティック&マゾヒスティック』(01)以来3作目となる。
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