西島秀俊インタビュー

―まず、アミール・ナデリ監督との出会い、そしてこの映画に出演するに至った経緯を教えていただけますか。

西島秀俊(以下、西島)2005年の第6回東京フィルメックス(映画祭)で審査員を務めさせていただいたのですが、そのときナデリ監督は『サウンド・バリア』の上映のためにいらしていました。僕の出演作はまだほとんどご覧になっていなかったと思います。だけど、会ってからほとんどすぐに、「オマエの魂は、オレによく似ていて、その内面には怒りやエネルギーがあるはずだ」と。その頃は、まだ具体的なシノプシスはなくて、「日本映画を変えるような作品を一緒につくろう」と熱意を語っていらっしゃいました。

―西島さんは、ナデリ監督や彼の作品にはどういう印象をいだいていたのですか。

西島 イラン映画界といえば、アッバス・キアロスタミ監督、モフセン・マフマルバフ監督、アボスファズル・ジャリリ監督などすごい映画監督がたくさんいるなという印象をもっていましたが、そんなにナデリ監督のことは正直いって知りませんでした。その年に『サウンド・バリア』(05年)を見て、本当にすごい作品だと驚いたくらいです。その後に、やはり東京フィルメックスで上映された『ベガス』(08年)を見たり、ナデリ監督から過去作品のDVDを借りて見たりして、素晴らしく力強い監督だなと思いました。

―つまり、お互い映画人としてよりも人間同士として知りあうことから始まった?

西島 そうですね。ナデリ監督は、直感的というか、ちょっと神がかったところがある方なので(笑)。これは後からNY在住の映画関係者に聞いた話ですが、ナデリ監督は前から日本で映画を撮りたいと思っていて、僕に会って、「やっとその主演俳優を見つけた」とおっしゃっていたそうです。

―脚本を読んで具体的に制作の話が進んだのはいつ頃ですか?

西島 2009年の春ぐらいだったと思います。すごく力強い、ナデリ監督らしい独特の脚本だなと思いました。ただ、本当にこれは映画化できるのだろうか、とは思いましたけど。

―『CUT』で西島さん演じる主人公・秀二は映画監督。映画監督から映画監督の役をオファーされるというのは、特別な意味があると思いますが。

西島 監督とは映画の話をしたり、それ以外にもお互いの生い立ちや結婚観などの個人的な話もたくさんしました。なので、秀二の中には、ナデリ監督なりに僕を投影した部分もあるかもしれません。が、僕から見ると秀二は、ナデリ監督そのものですね。映画のために人生を捧げているところとか、その“捧げ方”が闘いだということとか。なので、役作りとしては、ナデリ監督をつぶさに観察しました。彼がどうやって人と話すのか。撮影現場でも、彼の歩き方や走り方を真似したり、また同じような食生活を送っていました。監督はコーヒーを飲まない方なので、僕もずっとお茶にしていたり。

―イラン人監督の多くは、政治的背景、社会的背景から常に“闘い”を意識せざる負えない環境で映画を作り続けています。そこが戦後生まれの西島さんとは温度差があるのでは。そうした“闘う”姿勢に共鳴するところはありますか?

西島 これは自分でいうとおこがましいかもしれませんが、僕自身、この仕事をしてきて常に闘ってきたという意識はあります。僕なりの闘い方ですけど。外国の映画関係者と話すと日本のインディペンデント映画は、自由に表現ができてとても素晴らしい制作環境にあるとよくいわれますけど。

―こうした“映画愛”といったテーマを中心に据えると、ともすると頭でっかちな作品になりがちですが、秀二が“殴られ屋”でお金を稼ぐように、この映画には身体性が備わっています。

西島 ナデリ監督に、「オマエは身体的な演技のできる俳優だ」と最初にいわれましたね。さらに、「かつての日本映画にあった身体性を取り戻せ。それを表現しろ」とも。

―参考にした具体的な映画や俳優は?

西島 黒澤(明)映画の三船敏郎さんとか。他に海外の作品を4,5本あげていらっしゃいました。それぞれまったく違うタイプの作品や俳優なのですが、彼らの演技の深度が深いという意味では、共通するところはありました。ナデリ監督にいわせると「これらの俳優はエベレストの頂上に登った人間だ。オマエも登れ。彼らの真似をしたり具体的に参考にしたりする必要はないけれど、彼らがどういう準備をして、どういうルートで頂上に登ったのかを考えろ。そしてオマエなりのルートを探せ」と。それらを探求するのは、とても興味深い体験でした。

―撮影現場では、かなり追いつめられた状況だったとか。

西島 撮影中は、誰ともしゃべるな、演技に集中しろという指示がありました。あいさつも一切しない。周りからみたらクレイジーに見えても、それでいい、と。

―ナデリ監督の演出法は独特なリアルさがありますね。トイレでの“殴られ屋”のシーンとかの迫力は尋常じゃない。

西島 あのシーンは、カメラが回る前にひたすら殴るシーンを演じて、みんながコントロール不能になってから撮影を始めてました。怒号が飛び交い、ほとんどパニック状態。「カット!」がかかっても止まらず、助監督が割って入ることも。ナデリ監督はそこまで要求していました。このシーンだけではありませんが、とことん突き詰めるナデリ監督の演出のおかげで、ここまでやってもいいんだ、というある意味限界を超えることができた。僕にとっても大きな体験だったと思います。

インタビュアー
立田敦子
(たつた・あつこ/映画ジャーナリスト)

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