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1980年のこと。わたしたちはボブ・アルトマンと地中海のマルタ島でまるまる5ヶ月を共に過ごした。その島で撮影されていた映画が『ポパイ』だった。
この映画に対してアルトマンはさまざまな毀誉褒貶を浴びた。彼のそれまでの映画がそうであったようにね。
何故かって? それは彼の映画がカテゴライズすることが難しいからだ。残念ながら、アメリカの現実社会でも、日本でも、「出る杭は打たれる」。そう、ロバート・アルトマンは(彼は若い頃、第二次世界大戦で爆撃機に乗って空を飛んでいた)いくつもの映画製作を遂行すべく飛び回り、手持ちカメラで移動しながらの場面構成(モンタージュ)や、複数の人間の会話を重ね合わせるシーン作りなどは、新しい世代の映画監督たちに多大な影響を与えた。
あれから数十年が経った。そんなある日、アルトマンから再び電話があり、彼の映画『バレエ・カンパニー』(シカゴのジョフリー・バレエ・スクールについての作品)の音楽をやらないかと誘われた。
この偉大な人物を我が家を訪れ、わたしがスタジオ・レコーディングでなしとげてきたことを認めてくれたのは、大変に光栄なことだった。
それからわたしたち夫婦は、彼の妻キャスリンも一緒にお祝いのディナーに出かけた。テーブルで彼は冗談をいい、笑いながらむせ返ってしまった。あの時点で彼は80代になっていて(訳注:正確には公開当時は78歳)、両膝は人工関節で、心臓移植もしていたので、わたしたちは彼がこのまま死んでしまうんじゃないかと大いに心配をした。
とても頭の切れる人物であるアルトマンは、あやうく息を吹き返すとこう言ったんだ。「人生はこんなふうに終わるものなんだよ。懐かしい友人たちと素敵な食事をしながらね」
もう一度彼は笑いだし、ぜいぜいと息をした。
聡明でユーモアに長けた彼の妻キャスリンは彼の肩をしっかりと抱き寄せて、こう言った。
「ロバート、そんな調子が続くようだと、あなたには車に戻っていただかないとね、わたしたちに落ち着いて食事させてちょうだい」
アルトマン夫妻は愛すべきカップルだった。ふたりは結婚生活をいつまでも新鮮に保つ術を知っていたし、その人間性や、悲劇のなかに喜劇を見出す能力で、彼らを慕う人間たちを楽しませ続けた。
ヴァン・ダイク・パークス