インタビュー

カッパドキアを舞台にしたこの企画はどこから生まれたのでしょう。

チェーホフの三つの短編が発想源で、15年ほどこの企画を温めていました。観客の想像をあまり方向づけてしまうといけないので、どの作品かは言いませんが、チェーホフの作品を良く知っている人なら見つけるのは難しくはないでしょう。 初めはカッパドキアで撮るつもりはありませんでした。この地方は、この映画にはあまりにも美し過ぎたからです。でも、登場人物を配置できて、今の世の中から遠く離れた別世界のようなホテルを他に見つけられなかった。それに、このホテルには多少の旅行客も必要でした。カッパドキアだと冬でも旅行客がいますから。ロケハンでこの場所を見つけ、ここに登場人物を置きたいと思い、その結果、物語が進化したのです。背景のおかげで物語が変化したわけです。

シノプシス段階で既に登場人物はみな存在していたのでしょうか、それとも徐々に生まれてきたのでしょうか。

出発時点では夫と妻、それに妹でした。それから彼らを取り巻く人物、最後に導師とその兄、子どもの順です。それで、私たちが書いた最初の場面は、子どもが石で車の窓ガラスを割るという場面ではありませんでした。最初に書いたのは夫と、その妻ニハルの対立の場面でした。その後、私たちはこの夫婦と彼らが住む小さな村との関係を打ち立てなければならないと思い、この一家を生み出したわけです。

アルコール中毒のイスマイルが物語をけん引していきますね。

私にとってこのイスマイルという人物はあまり現実的なものではありません。かなりユートピア的な人物なのです。彼は別の世界に住んでいる人物であって、この場面は、ニハルに教訓を与えるのに必要だと考えました。私はこのユートピア的なところが染み込んだ場面が大いに気に入っています。全体のリアリズムを強調することになるからです。ドストエフスキーにもこの種の対位法がありますね。

映画における色についてご意見を伺わせてください。

私は写真を撮っていた頃に色について考え始めました。当時カラーの焼き付けは非常に高価で、質も素晴らしいとは言えず、私はモノクロで撮っていました。映画も「冬の街」まではモノクロで撮っていました。モノクロだとニュアンスのコントロールができたからです。カラーでは無理でした。デジタルに移行してからは、監督にとっては色の決定が簡単になり、色彩についてもまさに望むものが手に入ります。私でいうと「スリー・モンキーズ」を監督した時にはいささか色で遊び過ぎたと感じており、今は色に関してはグローバルな形での理解を控え、アメリカ人がしているようには、いちいち色をいじることをしないようにしています。私にとって一層重要なのは影、そして影と光の関係です。この映画で初めて、私たちはスタジオで撮ることができ(貸家の場面やホテルの場面)、それは私にとっては大変うれしいことでした。というのは、光の量について自由度が高かったからです。2ヶ月間は屋外で、6週間をスタジオで撮影しました。雪があったおかげで、モノクロのようになりました。アイドゥンが去る時に雪がこの地方を覆うという事実は、私にとって非常に重要です。ある関係に終止符を打つ時に、世界は違って見え、風景は性質を変える。ここで風景は白くなるのです。

いつシューベルトのピアノソナタ第20番の使用を決めたのでしょうか。 これはブレッソンの『バルターザールどこへ行く』でも使われていますね。 『バルタザールどこへ行く』のロバから『雪の轍(わだち)』の馬へ?

いくつかの曲を試してみて、この曲にしたのですが、それはシューベルトが、ごくわずかに変奏するだけで同じ旋律を使っているからです。非常によく知られている旋律で、使う曲を調べているうちにこれをブレッソンが既に使っていることを知りましたが、それは私にとって大きな支障ではないように思えたのです。
カッパドキアというのはトルコ語で「美しい馬の国」という意味なのです。この地方では、素晴らしい野性の馬がいて、私の物語に馬を出さないわけにはいかなかった。馬たちは人間とは全く関わらず、人に捕まると彼らは、自由のために闘うのです。それは映画の内容にもふさわしいものでした。