作品に寄せられたコメント

こんな大胆な、無謀なことをする者がいるのかと呆れながら夢中で見た。
この映画を駆動しているのは圧倒的な台詞の力だ。
これほど緻密に構築された言葉のやりとりを映画で聞いたことはなかった。
言葉に容赦がない。
どこまでもお互いを追い詰めて力を抜かない。
こういう徹底した言葉の闘いを我々、つまり日本語人はできるだろうか?

生ぬるい日本映画に飽きているなら、この映画を観ればいい。
人生の大事なものに触れてくる一生忘れない映画になるにちがいない。

本作で最も印象深いのは、その“広がり”だ。
人間性や生きることを広い視野でとらえている。

夫と妻、兄と妹、富める者と貧しい者、信仰を持つ者と持たない者、
日常的な思案・感情のくいちがいが入念に展開され、あきるところがない。
画面の美しさ、凄さにも堪能。

「言葉」と「沈黙」で綴られた、なんと雄弁な劇なのだろう。
多くの忘れていた感情が、熱く息をし始めたようだ。
「幸せ」を必死で求める人間たちは、どこまでも喋り続ける。

純粋に見えて狡猾、狡猾に見えて手抜かり。
生活の充足を求め、思考し行動する人たちに射す光と影。
悪に対して自覚的であろうとする彼らの姿が
そのまま日々の我々の姿を映し出す。
大いなる喜劇!!
それでもやっぱり誰も悪くはないと人生を肯定するか、
キミは、観客席で!

知的で洗練された、素晴らしい作品。
あまりに引き込まれて3時間の映画であることを忘れてしまった。
この世界にもっと身を浸していたかった!

奇岩立ち並ぶカッパドキアでチェーホフとドストエフスキーが響き交わす。
ロシア文学を愛するトルコの監督が、原作を超える驚くべき映画世界を創り出した。

この濃くて悲しくて度し難い登場人物たちは、私の胸から一生消えないだろう。

冬のカッパドキアは美しい。
その中で、心に固くまとったものが一枚一枚はがされていく。
(少年の怒りの目、女たちの涙、男の傲慢と後悔)
壮大なランドスケープのもとで人間の懊悩が描かれる。
そして、最後に帰っていく場所の在処も。

人間みんなもろくて弱いけど、人生そんなに悪いものじゃない。
雪に閉ざされた世界は重いけれど美しい。光あるラストに胸打たれる。

引用されるシェイクスピアはリチャード三世の開戦の弁だ。
美しいカッパドキアの自然の中で展開される知的な葛藤は、
不戦と許しという今まさに緊急な問題の核心を衝く。

カッパドキアの穴蔵のような住まいを舞台に
繰り広げられる家族の物語りは、
登場人物たちの語り合う言葉が
互いの身体に穴を穿ち合うようで実に迫力がある。
これぞ世界遺産だ。

カッパドキアの風景もさることながら、室内の空間設計の美しさに息をのむ。
静謐な画面にそっと差し出される「悪への無抵抗」の議論。
時代錯誤とも思える議論に主人公はさいなまれる。
だが、その先には一条の光……。主人公の心の鎧を溶かすには、
3時間もの長尺の物語が必要だったのだ。
それと同時に、観客は、これが最良の意味での「言葉のドラマ」だと納得する。

これは舞台なのか?世界遺産カッパドキアで語られる濃密な人間模様に、
思わず引き込まれてしまった。
イバラのトゲの様に刺さってくる言葉が耳から離れない。

あまりにも素晴らしかった。
この映画の素晴らしさを正確に伝える正しい言葉が見つからない。
人間の綻びから零れ落ちたモノが私に重くのしかかっているからだろう。
近年、ダントツで観るべき映画。

「暖かな火のある小さな部屋で妻の声を聞いている、それが何より幸せだ。
たとえそれが罵倒であっても」。
かくも辛辣で濃密な対話を、音楽のように楽しめる稀有な映画。

雪に閉ざされたカッパドキアで繰り広げられる、
トルコオヤジの重厚な演歌的物語がついにカンヌを制覇した。
やはり21世紀はユーラシアの時代なのだ。

互いの心臓を言葉でえぐる会話劇は相討ちの潔さがあって、
いっそ晴れやかな心持ちになる。
捕獲され、抵抗し、膝を折って滅びの命運に天を仰ぐ野生の白馬よ!

持つ者と持たざる者、愛を求める者と見失った者――
異観の地で繰り広げられる重厚かつ豊潤な心理劇!

奇岩に閉ざされ、家族はひたすら濃縮してゆく。
どこまでも譲らぬ対話が、不思議な酩酊感を呼び起こす。
緊迫の果ての破裂点に、息を呑む。美しい。