COMMENT FROM SHINYA TANAKA

絵空ごと、神話、美しい嘘

私は小説『共喰い』を、日本のある地方都市で昔こんなことがありました、と伝えるつもりで書きました。過去にあったこと、あったかもしれないこととして。昔話が果してうまく伝わるだろうか、単なる絵空ごとと一蹴されるのではないかと不安もありました。

映画『共喰い』を観て、どこかにあったかもしれない物語が確実な光景として現れてくる興奮を味わいました。 川が流れ、潮が満ち、人がうごめく、その映像に、においまで感じられるかのようでした。つまり私は、誰よりもこの作品が分かっている筈の原作者という立場でありながら、綺麗にだまされてしまったのです。当然ですがスクリーンは平面であり、そこにあるのは映像にすぎません。実際にはなかったかもしれないのに、目の前で確かに展開される物語。『共喰い』の絵空ごとの要素、神話性のようなものが、映画という美しい嘘と抱き合って強烈なにおいを放っています。川辺と呼ばれる、本当なら湿り気に覆われていそうな土地が、どこか乾いたものとして感じられるかどうかが、この小説を書く一つの課題でしたが、映画は見事にそれを表現してくれました。空気も土地も、そして人間関係も、濃密でありながらどこかに空洞があり、あっけなく、激しく壊れる。そんな世界が、具体的な場面の連なりで展開されてゆきます。

暴力の場面も性的な場面も逃げずに表現して下さった、監督、スタッフ、そして抜群の存在感の出演者に脱帽です。そうか、『共喰い』の遠馬や千種はこんな体験をして大人になってゆくのか、と思わせてくれました。父と息子の物語であり、それ以上に女たちの物語であることにも、改めて気づきました。

小説と映画は別物ですので安易に比べるのは危険ですが、私が物語のクライマックス近くに書いた、巨大な鰻が庭の泥の中から出てくるという幻想的な場面を、映画は全く違う形で描いています。ここを見た時、ああ、やられた、と思いました。この場面はこういう風に描かれるべきだった、だからこそあのクライマックスが成立するんじゃないか、と悔しくなりました。さらに、小説の結末を越えたところまで、映画はすくい取ってくれています。それは実のところ、私も書こうとしていたことでした。思い切ってその手前で小説を終らせることで、作家としては達成感がありました。ですが映画はその先を追いかけて、大きな生命力へと到達する女たちを出現させました。

暴れ回る男を観て下さい。男の死をしっかりと記憶して下さい。女たちの解放を感じて下さい。そしてエンディングの音楽に溢れる監督の思いを、たっぷりと味わって下さい。

原作:田中慎弥

1972年山口県出身。山口県立下関中央工業高校卒業。2005年「冷たい水の羊」で第37回新潮新人賞受賞。2008年「蛹」により第34回川端康成文学賞を受賞、同年に「蛹」を収録した作品集『切れた鎖』で第21回三島由紀夫賞受賞。他の著書に『図書準備室』『神様のいない日本シリーズ』『犬と鴉』『実験』がある。「共喰い」で第146回(平成23年度下半期)芥川龍之介賞を受賞。

©田中慎弥/集英社・2013 『共喰い』製作委員会