彼女にはなぜ、夫ではない〈恋人〉が必要だったのか?
2人の男の間で揺れ動く心と、
夫婦の真実が明かされていく衝撃の84分。
彼女にはなぜ、夫ではない〈恋人〉が必要だったのか?
2人の男の間で揺れ動く心と、
夫婦の真実が明かされていく衝撃の84分。
門脇麦
田村健太郎 黒木華 古舘寛治
安藤聖 佐藤ケイ 金子岳憲 秋元龍太朗 安川まり
染谷将太
監督・脚本:加藤拓也(『わたし達はおとな』)
音楽:石橋英子
製作:映画『ほつれる』製作委員会、コム・デ・シネマ
製作幹事:メ~テレ、ビターズ・エンド
制作プロダクション:フィルムメイカーズ
配給:ビターズ・エンド
2023年/日本・フランス/カラー/1:1.37/DCP/5.1ch/84分
©2023「ほつれる」製作委員会&COMME DES CINÉMAS
助成:文化庁文化芸術振興費補助金(映画創造活動支援事業)
独立行政法人日本芸術文化振興会
With the support of AIDE AUX CINÉMAS DU MONDE CENTRE NATIONAL DU CINÉMA ET DE L'IMAGE ANIMÉE INSTITUT FRANÇAIS
人生には誰しも何かを選択せねばならない瞬間が何回かあって、
その瞬間は点でもさまざまな過程が入り混じった線があるからこその今に至る、その繰り返しが人生なのだと思います。
この物語は1人の女性のとある時期の点と線を描いた物語です。
物語というより観察、記録、にも近い感触が残るのではないかと思います。
映画のメッセージも答えも全て観てくださる方に委ねられている作品です。
是非劇場に足をお運びください。
目の前には門脇さん演じる綿子がいて、ガラス細工のような台本があって、
『やってみましょう』と加藤監督がポツリと言って始まり、役者、照明、撮影の歯車を変えてもう一度やってみる。
その繰り返しでした。
そうやって静かに淡々とひとつに向かう、皆が職人のような、工房のような現場でした。とても幸せでした。
組み上がったものを思い出すと、人間を不思議に思ったり、生々しさに後ろめたくなったり、
また雲間からのぞく三日月みたいな業に不覚にも見とれてしまう瞬間もあったりで…
この作品に今だに掻き乱されてます!
自分を見つめる事ほど難しい事はありません、
様々な関係性の視線の先に自分が居るとするならば、自意識も1つの視線でしかない、
綿子が1歩踏み出した自分を求める旅路を加藤監督は細部まで見事に映画に落とし込んでいて圧巻でした。
加藤監督の書くセリフはとても繊細な言葉達で、会話を作り上げるのがとても楽しい作業でした。
皆様にはスクリーンであの緊張と緩和の空気に揺さぶられて欲しいと願っております。
加藤さん演出の舞台に出演させていただいてから、この人とは必ずもう一度仕事をしたい、と思っていました。
それからあまり日を待たず、今度は映画という場でご一緒することができ、大変嬉しく思います。
「ほつれる」という単語を皆さんがどう捉えられるか、映画を見ていただけるのが楽しみです。
この作品では当事者性を感じることができない、またはしないで、
向き合うことを諦めているある一人のもつれが描かれています。
それが小さなことから大きなことまで、いかに繰り返されているのかということが、
私にとって二本目の映画になりました。
映画を通して強烈な個人的世界を創り出すことのできる映画監督に出会うことは滅多にない。
加藤拓也の『ほつれる』は、その卓越した技巧と感情の密度で私たちを魅了した。
この映画は、人生の厳しさと、特に人生が試練にさらされるときに、お互いにコミュニケーションをとることの難しさを力強く伝えている。
私たちはフランスで彼に同行できることを嬉しく思うとともに、彼が明日の偉大な監督の一人になることを信じている。
見て見ぬフリをするのも向き合うのも、どちらも体力がいる。
いっそ忘れられたらいいのになぁと、記憶の片隅に追いやっていたあのことを思い出した。
あちこちに横たわる饒舌な沈黙とひた走るラストが、胸に迫って印象的。
誰かがやってるテトリスの、ゲームオーバー直前の悪あがきを観てるみたい。
綿子が追い詰められていくのを他人事だと思っていたら、ブロックみたいに、今の自分にピタリとはまった。
こんなにもザラザラした物語で埋まる自分の心が怖い。
「結婚」が現実的になってきた世代としては、
結婚に対して、色々な考えを知ることで選ぶ範囲がさらに縮まってしまう、と思っていました。
少し余裕のある生活をしてても、優しい言葉をかけてくれても、思いやりをもって寄り添ってくれても、
周りからこれ以上の幸せがなさそうに見えても、満たされない"何か"が自分でちゃんと分かった時、本当の幸せを見つけられるんだと思いました。
でもそれはきっと綺麗事では、終わらないこともあったりするはずです。
良くも悪くも人間の本質、欲望をシンプルに描いた作品だったと思いました。
修復できそうでできないのがほつれ。
時間が経てば経つほどどうすることもなくなるのがほつれ。
人はそのほつれを埋めるために、また新たなほつれを生んでしまう。
人間の弱さと浅はかさと情けなさが詰まりながらも愛おしく思えてしまう作品。
ちなみに僕は彼女が車を運転するシーンがすきだ。
彼女の生き方全てを表しているようで・・・。
気付かなかったり
気付かないふりをしたり
あとまわしにしたり
そんなことで修復が難しくなる。
そうとわかっていても
そうなってしまう。
だけど、それはとても人間らしい。
辞書の「ほつれる」の意味の
最後らへんにこの映画を書いてほしい。
そのくらいしっくりきた。
その場、その場、をなんとかすり抜けて生きていって、あふれる後悔をどうしたらいいのか。
人々の人生は簡単にほつれたり解けたりしてゆく。
人間の浅さと深さをつまびらかにする。
静かに、ゆっくりと、でも凄い速さで揺らいでいく。
加藤さんの作品をみると、いつもそこにいるひとの内側が、
じわじわとぬるい毒のように沁みてきます、それも自分や自分の隣にいるひとのことのように。
言葉で形容し難い感覚を、繊細な言葉たちと演出で立ち上げ、わたしたちに手渡してくれます。
ふとした言葉や目線のひとつひとつによって、
人々の人生は簡単にほつれたり解けたりしてゆく。
生活の中にあるリアルな言葉を紡ぐ圧倒的な脚本の力、
淡々と過ぎる生活の中の最低限の音楽、
そして俳優を信じている抒情的な画の数々。
加藤拓也さんの世界に浸ることは、自分の人生との対話のような気持ちになる。
加藤拓也が書く日常は、いつももはやしずかではない。
この映画の登場人物の誰にもなりたくはないが、どこか全員に共感はできる。
会話は軽快でも切ない、そんな現実と洞察の生々しさが憎らしい。
愛するってことを自分自身に誓った時、心の中に玉結びができる。
ほどけほつれてしまわないように、何度も何度も玉結びをするうちに、その玉は愛するに充分な大きさになってしまって、だからもっと玉結び。
あなたを愛する分だけ大きくなってしまう玉を、私たちどうしたらいいんだろうね綿子さん。
コミュニケーションという観念には、軋轢や衝突が内包されている。
むしろ軋轢や衝突こそがコミュニケーションの核心なのかもしれない。
コミュニケーションによって見出されたほつれを、断続的に改修し続けることが、密接な人間関係には不可欠だ。
このことを心に刻み、覇気を持って生きていきたいと感じた。
日常ですれ違う、澄ました顔とスカした態度の富裕層。
身につける服も、暮らす空間も洗練されている勝ち組。
本作はかれらの痛々しく空疎な心を解剖し、公開する。
それを見て哂う自分も大概ほつれてる。もう繕えない。
加藤拓也監督は、すでに確固たる自らの映像表現を築き上げた。
この現実世界に存する人間の感情と会話が"生"のままスクリーンに投げ出されてもたらされる異化に、創造的果実が十全と実っている。