COMMENT

『墓泥棒と失われた女神』
スズキエイミ(現代美術家)
オルタナティブポスター

本作の赤い糸とは、墓泥棒である主人公の失った愛する人が纏うニットの糸である。
ギリシャ神話の悲劇のラブストーリーを基に繰り広げられる物語の最果て。
追いかけた赤い糸の行方の先にあるものとは。愛か死か。

スズキエイミ(現代美術家)

喧騒のあとに訪れる寂しさ。
それが心地よくて、ロマンティックで、ずーっと反芻しています。
搾取構造ですら骨張らない寓話のようなムードに、心を奪われました。

岨手由貴子(映画監督)

ああ!なんて震えるほど美しい映画。
今もどこかで宝が埋まっている地層のように、幾重もの語り口に導かれ、とんでもないラストと出会ってしまった!

山中瑶子(映画監督)

人間は生きていくために、ときに深い闇の底まで幻想や神話を探して降りていく。
その逡巡に揺れる道程を、これほど美しく、陽気に、切なく描くことができるのだとは!
ロルヴァケルの映画を観るとは、不穏だが心地よい淡い光のごとき郷愁に胸をつかまれることでもある。

小野正嗣(作家/仏文学者)

どこに連れて行かれるか分からない展開に戸惑っているうちに、イタリア的な祝祭の渦に巻き込まれていつの間にか胸が熱くなる。
人生はあたかも一時的な夢であるかのように。

白井晃(演出家/俳優)

失われた過去の宝に執着する墓泥棒は、自分の人生も恋も地下でしか掘り当てられない。
しかも、みんな壊れた状態で。芥川が書いた「蜘蛛の糸」よりも哀しい結末に絶句。

荒俣宏(作家)

足元を少し掘れば、古代文明の遺物がざくざく。
世界史と直結した土地では、きっとなんだって起こりえる。
混沌こそが豊潤なのだと、にぎやかに謳う。
なんてイタリア映画的!

山内マリコ(小説家)

墓と駅。”遺跡”を”自分のもの”にするのは一緒なのに、こんなにも目的と意味合いが違うこと。
私たちに残された物語の余白の中で、自分はじゃあどう生きていこうか考える。

松田青子(小説家)

この映画を見た後、とても幸福だった。
言い表す言葉を思いつかない、それはこの世のどこにもあるように思えない、そんな幸福で満たされた。
この映画を作った人たちが居ることが、ほんとうに日々を過ごす励みです。

柴田聡子(シンガー・ソングライター/詩人)

墓泥棒にして考古学愛好家が探しているのは、本当はなんなのだろう?
これは、消えた"あの人"を取り戻す旅なのではないか。
生と死の境を行き来する明るくもの哀しいトライアングルの音色と歌の余韻が長くつづく。

鴻巣友季子(翻訳家/文芸評論家)

古代墓の禁断の扉が開かれる瞬間、そこに我々は過去へのロマンを感じる。
しかし外気に触れた壁画の「鳥」=「古代人の魂」が瞬時に色あせる場面は、過去とは誰のものなのかを観る者に問いかける。

大城道則(考古学者)

死を掘り起こしながら、生をたどって彷徨う男。
寓話のようなその世界で、失われたものこそ輝いて見える。
この映画そのものが、人のための物ではないかのような神秘に包まれていた。

小川紗良(文筆家/映像作家/俳優)

より未来的な価値観が、いにしえの世界と世知辛い現代と共存しているところにロルヴァケルの新しさを感じる。
彼女は豊かな女性監督の潮流の中心人物になりつつあるのだ。

山崎まどか(コラムニスト)

『アッカトーネ』のヴィットーリオを想わせる主人公が渓谷を登ってくるだけで、ロルヴァケル映画が始まる興奮が沸き立つ。
イタリア映画の至宝の記憶を蘇らせながら、墓泥棒と現代アート界の闇を織り交ぜた芳醇なロルヴァケル寓話が揺らめく。
エトルリアの女神の眠りを妨げてしまったオルフェは果たして愛しい人との赤い糸を手繰り寄せることができるのか!?

久保玲子(映画ライター)