2023年カンヌ国際映画祭。ザンドラ・ヒュラー、スカーレット・ヨハンソン、ジュリエット・ビノシュ、ナタリー・ポートマン、ジュリアン・ムーア、ミア・ワシコウスカといった名だたる女優が名を連ねる中、プレゼンターのソン・ガンホから盾を受け取ったメルヴェ・ディズダル。これまでパルムドール、2度のグランプリ、監督賞など、カンヌ国際映画祭をにぎわせ続けてきたヌリ・ビルゲ・ジェイランは、本作『二つの季節しかない村』でディズダルにトルコ人初のカンヌ国際映画祭最優秀女優賞受賞をもたらした。
音さえ吸い込んでいく雪深い景色の圧巻の美しさと、標高2150mにある世界遺産ネムルトダーの夏の雄大さ。
対照的に、その中で生きる人間の悲しいほどの卑小さ。ヌリ・ビルゲ・ジェイランは、この圧倒的な広がりを見せる自然の大きさと、自我に縛られた人間の小ささを大胆に対比させる。息もつかせぬ言い合い、ちょっとした目線に現れる小さな感情の動き。これまでの作品同様、ドストエフスキー、チェーホフ、イプセンと言った世界の文豪作品に加え、太宰治らの私小説を思わせる、繊細な人間感情の機微を圧倒的な演出力で描き出す。
劇中、主人公サメットによる撮影として提示される数々の写真は、ジェイラン監督自身が撮影したもの。村を斜めに見続けるサメットの目線を体感することになる。
Introduction
パルムドール受賞監督
ヌリ・ビルゲ・ジェイラン最新作
見渡す限りの雪砂漠と、夏の古代遺跡の雄大さ…
壮大な自然の前に人間は如何に小さなものか──
すべてにおいて屈折し、狭量で、尊大な美術教師が
取るに足らぬと思っていた土地に、何を見つけ出すのか──
トルコ東部、雪深いインジェス村の学校で美術を教えるサメット。教師というだけで、村人たちから尊敬され、お気に入りの女生徒セヴィムにも慕われている。しかし、ある日、、同居している同僚のケナンと共に、セヴィムらに“不適切な接触”を告発される。同じ頃、美しい義足の英語教師ヌライと知り合う。夏、念願叶って転任が決まり、この田舎村から去ろうとするとき、雪で覆われ続け、春の陽を浴びることなく突然に強い陽を浴び、黄色く枯れた草を踏みしめるサメットは、その枯草になにを見つけ出すのだろうか……。
プライド高く、ひとりよがりで、屁理屈を並べ、すぐにキレて、周囲を見下す、“まったく愛せない” のに“他人事と思えない” 主人公サメット。人と自分を比べ、他者をやりこめようとするサメットの姿は、現代社会のどこにでも見つけることができる。
主人公サメットとディズタル演じるヌライが繰り広げる人生論のやり取りは、12分を超える圧巻のシーン。「世界のために何ができる?」の問いに、「正義は絵空事」とうそぶくサメット。しかし、そのあとの展開に誰もが驚くだろう。予測不可能さ、アンビバレントさ……人の心の不可思議がそのまま提示されるとき、映画と現実の境界は失われ、新たな映画体験を味わうのだ。
Story
トルコ、東アナトリアにある、雪深いインジェス村の学校に赴任して4年が経つ美術教師サメット。この村は長い冬が終われば、春を挟まずに急に夏がやってくる。雪に覆われていた大地は春の芽吹きもなく、突然太陽にさらされ黄色く枯れていく。なにもない村では、教師であるだけで尊敬される。学校では、女子生徒セヴィムに慕われ、サメットの部屋でおしゃべりをしたり、休暇に行けば、お土産に鏡をプレゼントしていた。しかし、どこまでいっても仕事も少なく、なにもない村であることに変わりはない。
知人の勧めで英語教師をしているヌライと会うサメット。彼女は理想を持って、社会と戦っていたが、テロに巻き込まれ片足を失い義足になっていた。サメットは同居している同僚のケナンをヌライと引き合わせると、ふたりは意気投合していく。
ある日、学校で荷物検査が行われる。サメットがプレゼントした鏡と共にラブレターを没収されるセヴィム。内容が気になったサメットは理由をつけてそのラブレターを手に入れる。「返してほしい」と涙ながらに訴えるセヴィムに「もう処分したから手元にない」と嘘をつくサメット。
その日から、セヴィムの態度は変わった。セヴィムは友人と共謀して、「サメットとケナンに不適切な接触をされた」と虚偽の訴えを起こし、ふたりは窮地に立たされる。なにもない村では噂はあっという間に広がる。目を掛けていたセヴィムの態度に打ちひしがれるサメット。しかし、実はケナンを陥れようとしたのかもしれない、という同僚の言葉から、怒りの矛先はケナンに向かっていく。
セヴィムはなぜ、虚偽の告発をしたのか? サメットとヌライ、ケナンの関係はどうなっていくのか? 忌み嫌っていたこの村から、サメットは去ることができるのだろうか?
Director
兵役後、ミマール・シナン美術大学で映画を学びつつ、プロカメラマンとして生計を立てる。
93年、最初の短編「繭」の撮影を開始。この作品は95年の第48回カンヌ国際映画祭に選出された初めてのトルコの短編映画となった。「カサバー町」(97)で長編デビュー。第48回ベルリン国際映画祭フォーラム部門に出品され、カリガリ賞を受賞。「五月の雲」(99)は、第50回ベルリン国際映画祭コンペティション部門に出品され、「カサバー町」からの「地方3部作」の最終章、「冬の街」(03)で、第56回カンヌ国際映画祭グランプリと最優秀男優賞を受賞し、国際的な知名度を上げる。同作はカンヌ以後も国際映画祭を巡回し、47もの賞を受賞、トルコ映画史上最も高い評価を得た作品となった。「うつろいの季節」(06)は、第59回カンヌ国際映画祭でFIPRESCI国際批評家連盟賞受賞。「スリー・モンキーズ」(08)では、第61回カンヌ国際映画祭監督賞を、「昔々、アナトリアで」(11)では、2度目のカンヌ国際映画祭グランプリを受賞。そして、7本目の長編『雪の轍』(15)で、第67回カンヌ国際映画祭パルムドール大賞と国際批評家連盟賞を受賞。続く『読まれなかった小説』(18)も第71回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に選出され、第51回トルコ映画批評家協会賞で6冠に輝いた。本作『二つの季節しかない村』は第76回カンヌ国際映画祭でトルコ人初の最優秀女優賞をヌライを演じたメルヴェ・ディズダルにもたらした他、第56回トルコ映画批評家協会賞では7冠を獲得している。
Cast
“Snow and the Bear”(220/セルジェン・エルグン監督)で第59回アンタルヤ・ゴールデンオレンジ映画祭最優秀女優賞受賞。本作『二つの季節しかない村』でトルコ人女優として初めてカンヌ国際映画祭最優秀女優賞を受賞した。その他の主な出演作品は「ホタルを見たことありますか?」(21/アンダッチ・ハズネダロール監督)、TVドラマ「エルサン・クネリの野望 ~大いなる映画道~」(22)など。
『二つの季節しかない村』で映画デビュー。セヴィム役はオーディションで獲得した。本作で第59回シカゴ国際映画祭助演女優賞、第56回トルコ映画批評家協会賞助演女優賞、第25回サドリ・アリシュク映画賞ライジング俳優賞を受賞。
Trivia
Comment
繰り返される二つの季節。圧倒的な自然の中に蠢く滑稽なまでの人間の卑小さ。
意地の悪い虫眼鏡で覗いたかのように、始末におえない人間の「ざま」を拡大してみせる。
悪意と嘲りと痛みと諦念にまみれ、
それでも尚いじましくも逞しく人生は続く。
筒井真理子(俳優)
二つの季節しかないトルコ東部。
雪に閉ざされた村。雪に閉ざされた学校。雪に閉ざされた教師。
閉ざされた諍いで、凍てついた鬱積、怒り、焦燥、絶望、後悔が何処までも降り積もる。
果たして、頑固に凍結した教師に“雪解け”は訪れるのか?
そこは、ヌリ・ビルゲ・ジェライン監督。
いつもの様に3時間を越える尺で、壮大な自然と人間、雪と枯れ草のコントラストを恣意的に見せる。
豊かな四季の元に暮らしている我々は、
冬か夏かのデジタルな“人間模様”に衝撃を受けるはずだ。
小島秀夫(ゲームクリエイター)
真っ白な雪景色と解像度の高い人間達の意地悪さに惹かれた3時間でした。
一人の美術教師の体験が物語になる理想的な映画です。
加藤拓也(脚本家/演出家/監督)
ヌライの言葉を聞きながら、自分はこれほどリスクを背負った真実の対話を誰かとしたことがあっただろうかと考えた。
人に期待をしすぎると必ず裏切られるし、傷ついて、もう何もしたくないと諦めそうになる。
しばらくはこの映画のチラシを部屋に飾ろうと思う。
この少女の目から見た自分を幻視し、
その孤独を確かめながら生きてみるつもりだ。
藤原季節(俳優)
抑圧された環境で言いたいことが言えないと、人は目で会話できるようになるのかもしれません。
射るような目、懇願する目、死んだ魚のよう目、達観した目……登場人物たちの目の表現力に圧倒されました。
辛酸なめ子(漫画家/コラムニスト)
この作品を観て、登場人物達の自然な演技に圧倒されました!
しかしその映像のリアルな中に突然入るシュールなカットが面白かった。
浅野和之(俳優)
男って愚かだな~女って怖いな~と思いながら、どの登場人物も他人事ではなく愛おしくてぐいぐい惹き込まれてしまった。
熱いチャイと白チーズのボレクが食欲をそそる罪作りな映画である。
高橋由佳利(漫画家)
冬のどんよりとした光が人の心の奥を照らす。
雪景色のように淡く消え去っていく出会い。
いくつもの季節を通り過ぎて、人間は初めて「人」になっていく。
枯葉がみずみずしい緑の葉に生え変わるように。
監督は、地に生えた人たちの姿を写真で捉え映画に挟み込んでいる。
それもこの映画の魅力だ。
長倉洋海(写真家)
どこまでも続く雪景色の底には、春を待つ草花のように、よりよき社会や人生を待ち望む希望が閉じ込められている。
だが、いつまで待てばよいのか?
息をのむほど美しい映像が、抑えつけられた者たちの怒り、焦燥、諦めで震えながら、私たちの胸を締めつける。
小野正嗣(作家)
雪に閉ざされたトルコの辺境を舞台に繰り広げられる驚くべき魂のドラマ。
抑えられた情念がぶつかりあって、火花を散らす。
チェーホフやナボコフなどのロシア文学の名作にも通じる濃密な思索と官能の世界が現出する。
沼野充義(ロシア文学者)
大海原の如き銀世界。
サメットの4年間は雪の中で見た一場の夢か。
しかし、雪の村で触れ合った人々との想い出は、
壮麗な風景とともに生涯彼の心を去ることはないだろう。
迫力ある会話に圧倒された198分だった。
澁澤幸子(トルコ研究者)
世界はまるで擦り切れた希望だ――
そう嘯く教師サメットは、瑞々しい少女の中に自らの託つ内なる砂漠の本性を追い求める。
言葉にできてしまうものとできないもの、そしておそらくそうすべきでないものが世界には同居する。
そんな当たり前のことを思い出させてくれる極上の対話劇だ。
宮下遼(トルコ研究者)
どんな人間も利己的なのか。
誰かのためを思う、そんな自分のことを思っているだけなのか。
人間の生臭さを知った。
そして、問われた。
武田砂鉄(ライター)
『雪の轍』に続き、またしても冬、冬、冬、凛烈な冬。
霊峰アララト山を遠く臨むアナトリア東部の最果ての村で、ジェイラン監督がメタ手法まで交えて炙り出すのは、
平凡な主人公たちの中年の危機、いや、実存的危機!
サラーム海上(音楽評論家/中東料理研究家)
<二つ>というモチーフが物事の二面性を示唆。
騒動に対して“不適切”と過剰に反応する人々の姿は、
偏見と憎悪にたぶらかされてゆくような社会構造の脆さを戒める。
羨望と嫉妬は表裏一体なのだ。
松崎健夫(映画評論家)
(敬称略・順不同)
Review
傑作。
非の打ちどころのない脚本と演技。
焼け付くような、魅惑的な、忘れがたい冬のムード作品。
THE WRAP
壮大。
驚くほどエレガントで
優美なフィナーレを迎える。
デニズ・ジェリオウルとメルヴェ・ディズダルの
素晴らしい演技が光る。
Los Angeles Times
スリリングで夢中にさせる叙事詩。
ジェイランはタイプライターを持つ芸術家である。
『二つの季節しかない村』の脚本は、ルーブル美術館に飾られるべきだ。
ジェリオウルの注意深く整えられた演技は、決して卑劣な看板に堕することのない脚本と相まって、サメットを限りなく文学的な興味をそそる人物に仕立て上げている。
Little White Lies
圧倒的。
記念碑的な作品。
ジェイランのストーリーテラーとしての非凡な技量と、非の打ち所のない構成力のおかげで、非常に長い上映時間にもかかわらず、観る者の注意を一瞬たりとも失うことなく、軽やかに進んでいく。
el Periódico
まるでチェーホフのような、広大で内省的な人間ドラマ。
その語り口と雄大さに夢中になる。
ヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督の
新たな傑作だ。
The Guardian
トルコ映画でありながら、ロシアの小説を読んでいるようだ。
直接的で破壊的な表現力。
力強く痛烈な社会的フレスコ画と、絶望的で思慮深い個人の
突進が同時に描かれる。
INEMATOGRAFO
小説的で滋味深い。
ジェイラン監督のドラマ作家としての才能が、最高の形で発揮されている。
個人主義や孤立主義を吹聴する主人公とは裏腹に、
映画は寛大で好奇心に満ちている。
Variety
ヌリ・ビルゲ・ジェイランの映画の登場人物は大した活躍をしない。
アクションや伝統的なサスペンスはほとんどなく、ストーリー展開もベーシックだ。
しかし、深い視野で、存在の本質、人生の意味といった大きな疑問を探求し、観客を思索的な精神状態に導き、物語の先を読むのではなく、現実世界がどのようなものであるかを振り返らせる。
つまり、純粋な映画なのだ。
The Hollywood Reporter
田舎に鬱憤を感じている男の、一見些末な物語を、
想像力豊かに詩的なアプローチで、
驚くほど個人的なレンズを通して
濾過して差し出す。
“自己陶酔的”と呼ぶのは褒め言葉以外の何ものでもないだろう。
なぜなら、自己陶酔という人間の本質的な傾向を体現しているからだ。
深く、豊かに、鮮やかな色合いで、俳優たちがスクリーンに広がる登場人物たちを演じている。
IndieWire
ヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督は、
あえて観客に主人公を愛させない。
『二つの季節しかない村』の198分は、主人公の魂を探り、我々が何も考えずに踏みしめている枯れ草は、軽蔑するものではなく、むしろ再評価するべきものだと理解するための時間なのだ。
close up
観る前に予想していた「重厚な」物語とは違う、
この上なく「面白い」映画だった。
2、3人の人物が、外を雪に覆われた室内で、延々と話すシーンが
繰り返されるにもかかわらず、ラストシーンまで一瞬も飽きることが無い。
素晴らしい台詞。素晴らしい演出。
是枝裕和(映画監督)