小松由佳さんインタビュー
ドキュメンタリーフォトグラファーとして、
シリア難民の取材を続けている小松由佳さんに
『国境の夜想曲』を観た感想を聞いた。
それでもそこに生きていかなければいけないという
静かな意思を、彼らの日常が物語っていました
『国境の夜想曲』をご覧になって、小松さんご自身の経験と照らし合わせていかがでしたでしょうか。
まず、全体を覆う重苦しい雰囲気に圧倒されました。複雑な情勢下にあらねばならない苦しみ、不条理。しかしそれでもそこに生きていかなければいけないという静かな意思を、彼らの日常が物語っていました。
どのシーンが最も一番印象に残りましたか?
遠くの街で油田が燃え、空が赤く染まっている。どこからか銃声も聞こえるなかで、男性が一人、湿地帯を小さな舟で漕いでゆくところです。穏やかではない人間の所業と、それでも風土のなかに生きてゆく人間の姿がありました。
例え人々が政治やイデオロギー、民族によって分断されていても、
カメラが捉えた人々はカテゴライズで分断されることなく、
あるがままの人間として私たちに迫ってくる
本作は紛争に巻き込まれた地域を撮影していますが、そこに暮らす人たちの日常はどう見えますか?
国境という、人間が作り出した境界線によって、そこに暮らす人間の人生は大きく変わります。シリア・トルコ国境では、シリア側から逃れてくる難民を毎年取材していますが、一本の国境によっていかに人間そのものが分断されるかを感じてきました。
最近(2022年1月現在)では、シリアからトルコへの越境は、密入国業者に支払う金額として、一人当たり約1000ドル近くが必要とされます。高額であるばかりでなく、越境は非常に危険であり、もしトルコ軍に見つかれば、銃撃されて命を落とす可能性もあります。それでもシリアから逃れてくる人々はあとをたちません。人々は、人生を変えるため、国境を越えてくるのです。
私が2015年から取材しているトルコ南部ハタイ県レイハンルも、国境の街としての政治的な緊張にある街です。しかしそこでは、少なくともシリアでは手に入らなかった安全を手にした安堵感を、人々から感じられます。
本作の素晴らしい点は、彼らが誰であり、どこに生きているのか、背景にある情勢や政治についての具体的な部分を語ることなく、ただ目の前に存在している人間の姿を圧倒的リアリティで写し出している点です。そうした点で、例え人々が政治やイデオロギー、民族によって分断されていても、カメラが捉えた人々はカテゴライズで分断されることなく、あるがままの人間として私たちに迫ってくるのです。
本作はいくつかのストーリーによって構成されていますが、それらが最後には全体として結びつき、分断と圧力と不安定さに覆われた国境地域の匂いを彷彿とさせます。それも、特別な事件やセンセーショナルな心の動きからではなく、そこで起きていることを淡々と捉え、抒情詩のような見せ方で伝えています。
一貫してノーナレーションだからこそ、私たちは作中に深く入り込み、その世界に浸ることができます。作品全体を覆っているのは、人間の苦悩であるように感じられました。しかしそこには、この先へと続くだろう、日常の営みがありました。
戦うことでしか、戦いを終えることのできない人間の愚かさと、それでも生き続けていく人間の意志。光と陰とを印象的に捉えた美しい映像からは、人間という存在についての根源的な問いがあふれていました。
小松由佳さんプロフィール
ドキュメンタリーフォトグラファー。1982年、秋田県生まれ。山に魅せられ、2006年、世界第二の高峰K2(8611m/パキスタン)に日本人女性として初めて登頂。植村直己冒険賞受賞。やがて風土に生きる人間の暮らしに惹かれ、草原や沙漠を旅しながらフォトグラファーを志す。12年からシリア内戦・難民をテーマに撮影。著書に『人間の土地へ』(20/集英社インターナショナル)など。21年5月、第8回山本美香記念国際ジャーナリスト賞受賞。
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