世界遺産カッパドキア

世界遺産登録名称
ギョレメ国立公園とカッパドキアの岩窟群
(Göreme National Park and Rock Sites of Cappadocia)
登録年と登録基準
1985年、文化遺産(i)(iii)(v)、自然遺産(vii)
基本情報
標高1200m(ネヴシェヒル)
時差-7時間 ※ただし夏時間には-6時間
広さ約2500平方キロメートル
(東京都がすっぽりと収まる広大な土地)

カッパドキアは、トルコの中央部アナトリア高原に広がる大奇岩地帯。キノコ状の岩に代表される奇岩の不思議な景観、奇岩の中に遺された膨大なキリスト教壁画、地下何十メートルにも掘り下げられた地下都市とさまざまな顔をもつ、トルコ観光の最大地であり、世界遺産に指定されている。カッパドキアには、多様な建築様式が装飾による1,000以上の教会や礼拝堂があると言われている。

歴史
カッパドキアの景観は、数億年前に起きたエルジエス山とハサン山の連続した大噴火によって造られたもの。火山灰と溶岩が数百メートルずつ積み重なり、凝灰岩や溶岩層になった。その後も岩部は風雨に打たれて侵食がすすみ、今では硬い部分だけが残され、“妖精の煙突”とも言われる摩訶不思議な奇岩群を形成した。
紀元前1200年ごろヒッタイト帝国が崩壊し、その混乱が治まって、紀元前600年ごろにはメディア、リディア両王国が境界を争った。これらを飲み込んだアケメネス朝ペルシア人は、特産のサラブレッドにちなんで、「美しい馬」を意味する「カパドクヤ」の名をこの地に与えた。
紀元前17年にはこの一帯をローマが吸収。ローマ時代後期に広まったキリスト教は、皇帝の弾圧を受けることになった。逃れたキリスト教徒たちは、この谷に隠れ住んだ。7世紀になると、アラブ・イスラム勢力が侵入、洞窟教会や地価都市の多くは、この時代にアラブの攻撃から逃れたキリスト教徒が造ったもの。迫害を逃れるため、奇岩をくり抜いて住居や教会を造って生活し、天井や壁に見事なフレスコ画を残している。さらに地下の洞窟を利用して、巨大な地下都市も造り上げられた。
11世紀以降、セルジュク・トルコの寛容な支配の下、イスラム教とキリスト教は共存していたが、1466年以降のオスマン帝国の支配下で多くのキリスト教徒はギリシャなどに去り、この地のトルコ化が進んだ。
洞窟ホテル
カッパドキアの観光の中心となるギョレメは、奇岩群の中に位置し、カッパドキアらしい景観が楽しめる。同地区内には洞窟を生かして建てられた「洞窟ホテル」が数多くあり、築300年の住居や修道院を改装したものもある。もちろん、持ち家として宿を経営するオーナーもいる。ギョレメとはトルコ語で「見られてはならないもの」という意味。
カッパドキアの冬
標高1,00~1,200メートルに位置するカッパドキアは、夏は猛暑で、冬は極寒の地域。冬は日中も氷点下になる日が多く、雨季にあたるため雪も多い。乾燥地域のため、朝晩と日中の寒暖の差が激しいのが特徴。12~3月の夜はマイナス10度を切ることもしばしばあり、厳しい冬を耐えて、春の雪解けを待ち望む。
カッパドキアとイスタンブール
トルコの北西部に位置し、永遠の都と呼ばれる、イスタンブールは、商業や文化など、あらゆる面でトルコ最大の都市(※政治の中心は首都アンカラ)