モフセン・マフマルバフ
インタビュー

○ 『キシュ島の物語』の映画製作に至った経緯を教えてください。

 今のイラン映画のベースを作ってくれた監督達が沢山いて、彼らを忘れてはいけない、とずっと思っていました。私自身は色々なところから声をかけられているけれど、キシュ島に声をかけられた時、これをきっかけにこの先人達に尊敬を込めてオファーをして、みんな一緒に集まった方が、私一人で映画を製作するよりも良いと思ったのです。その企画はキシュ島も喜びました。15分ほどを6人で撮りたかったのですが、誰も15分では終わらせられませんでした。
 それから、それぞれが個人のスタイルで映画を撮るので構わないけれど、短編集にするからには、共通点が必要だと思いました。そこで、ロケ地はキシュ島で統一したのです。
 ハタミ師が大統領になってから、検閲の感じは変わりました。キシュ島には条件を出しました。“絶対に自分の映画の権利を他人に渡さないこと”です。自分の好きなものを作りたかったのです。みんな一緒に一つのことに対して闘えば、必ず勝つと思っていました。この映画はシナリオを検閲に通しませんでした。

○ あなた自身は検閲を通さずにシナリオを書いたのは初めてのことですか?

 みんなで集まって検閲を通さなかったのは初めてのこと。私自身は何度も検閲を騙しています。

○ 若い監督とベテラン監督が参加していますが、世代の違いが反映されていると思いますか?

 まとめてみると、それなりに世代の違いを感じるけれど、全ての作品のスタイルが違うので、イラン映画のバラエティがわかるものになっていると思います。

○ 観客はタグヴァイたち、ベテラン監督の復活に対してどのような反応をしたのでしょうか。

 パート1は、今イランの映画館で上映中で、新聞などでも取り上げられています。そのニュースが流れた時、大変、観客には喜ばれました。久しぶりにタグヴァイ達の映画が見られることも喜ばしかったのですが、観客にとってはそれらが一斉に観られることも喜ばれたようです。
 ベイザイ監督の作品は色や踊りが非常に奇麗な作品でした。ベイザイは作品を長編に変更しようとしたため、パート1からは抜けました。あとの2人は時間の長さが合わないので、私がもう一本映画を撮って、『キシュ島の物語 パート2』としました。私が言い出したことなので、私が責任を持たなくてはいけないと思ったのです。パート2の作品では、カメラを触ったことのない友人と共に、撮っています。

○ パート2のストーリーを教えてください。

 気狂いの話です。最近のイランの選挙の話。政治を皮肉ったりはしていません。シネマとデモクラシーに関する気狂いじみたコメディです。

○ 3本のラストになるということは調和を気にしたりしましたか。

 ストーリー的には何も考えていません。ただ、映画製作をはじめに引き受けたのは自分なのだから、まとめるという意味では考えました。

○ 『ギャベ』の経済効果もあるように、時代や文化を変えるのに一役買うという意識があるのでしょうか。

 『キシュ島の物語』でカンヌに行った時、安心したのはとてもイラン的な映画なのに、世界的に受け入れられていたことです。この映画は社会的であり、フィロソフィーを持ちつつ、政治的な映画なのです。良くあたる占いとは、その占いに書いてあることを、色々な人が自分のストーリーを当てはめているように色々な人がその人の視点で見られる映画、色々な面がある映画だと思います。
 もう一つに本当はとても普通なのだけれど、すごく不自然な話といえます。俳句など、3行の文字でしかないけれど、読む人によって、意味が変わってくる、そんな映画だと思いました。
 ドアには色々な意味があります。誰かが来ると、ドアそのものになります。人が来れば、ドアを開けます。危険を感じれば、ドアの陰に隠れます。ドアをかついで歩くということは人生の重さをかついで歩くことなのです。歴史を背負っている。でも、古いもの、誇りでしかないもの。歴史を背負っていても、誰もそれを買ってくれないのです。置くところも、捨てるところもない。自慢してきた歴史はどうすれば良いのか分からないのです。そして、ドアは創造と現実、男女の関係を分けるドアなのです。父親の古臭い考えも表しています。色々なものを表しているのです。

○ 『ドア』はどのように生まれたのでしょうか。

 ある日、バザールでドアを買って、事務所に持っていきました。サミラと2人で狭い事務所の中でお互いに干渉しあっていたので、ドアを真ん中に置き、サミラと自分の領域と分けてみました。ドアを押してみたり、引いてみたりして、お互いの場所の広さを変えていました。私とサミラの場所を分けるために買ったドアでした。ですが、なかなか設計者が来ず、ドアは放置されていたのです。その頃、私は『キシュ島の物語』の為のストーリーを考えねばなりませんでした。その時、このドアが目につきました。すごく面白い形のドアだと思いました。どこに置いても担いでみても面白い。そう思って、そのドアをもってキシュ島に行きました。そして、あのストーリーが出来上ったのです。ドアはキシュを去るときに、思い出を残そうという話になり、キシュ島に置いてきました。

○ ということは、サミラと監督の関係も、古臭い父親と娘の関係といえるのでしょうか。

 いや(笑)私はサミラを独立させようと思って、ドアを立てただけですよ。あ、でも、突然思ったけれど、ドアに鍵をかけてサミラを外に出さない方が良かったかもしれないね。