西島秀俊 : よく映画は観客が観ることで出来上がるといいますが、そういうレベルではなくて、フィリップ・ガレル監督の作品は人生に直接関与してくるという印象を受けます。『恋人たちの失われた革命』は68年5月の機動隊と学生の衝突のことが自分に直接関わってくるようで、すごく衝撃を受けました。特にバリケードの衝突のシーンの力強さがすごいですよね。
司会 : 監督は以前、本作品のバリケードのシーンの撮影中に、68年に自身で撮影された、実際の革命のフィルムが宿っているとお話なさっていましたが、その68年のフィルムについてお聞かせください。
ガレル監督 : 友人と3人で製作しました。私たちは3人とも二十歳でした。ゴダールに会いに行き、彼に援助をしてもらい、共同で35mmのニュース映画を製作しました。60年代は劇場で本編がかかる前にニュース映画がかかっていました。私たちは当時のニュース映画に反するような、革命に奉仕するようなニュース映画を作ろうと決意したのです。パリでは3週間5月革命が続きバークレイでもローマでも同じような学生運動が起きていたので、5月革命についての「アクチュア1」というニュース映画を作り、ゴダールに見てもらいました。その後、ネガを現像所がなくし、ポジは私の家の火事で焼けてしまいましたが、その映画を撮ったことは役に立ちました。本作の68年の武装した状態の機動隊とトラックが橋のところにいるショット、それは私が当時に撮ったショットと全く同じです。石が積まれ、舗道の敷石をはがしたところも、「アクチュア1」と同じショットです。そして、この映像のショットを思い出すことの方が、事件そのものを思い出すよりも私にとっては簡単でした。その残りの部分は記憶をもとに作りました。そして、その周りにラブストーリーを書いたのです。2時間半分のラブストーリーを書き、5月革命の部分につなげました。そういったわけでロマネスクな口実ができました。5月革命の間にバリケードの中で若い二人が出会うという口実です。それはもっともよい製作の方法でした。5月革命だけについての映画を作るとすれば、誰も資金を出してくれず、製作がより難しくなっていたでしょう。映画は大産業に属しています。大産業の中ではわざわざ無理をして、革命を讃えるような映画を作ろうとは誰も思わないのです。
アズーリ : だから5月革命に関する映画は少くないんですね。ところで、現在を生きている、コンテンポラリーな同世代の若者の俳優たちの起用についてのお考えを教えてください。
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ガレル監督 : 5月革命の部分は自伝的な部分ですが、それ以外は共同脚本家と作り上げたものです。私は学校で演技を教えていました。俳優たちのほとんどは私の教え子で、本作の主演で私の息子でもあるルイも私の生徒の一人でした。何の問題もありません。一切、特別扱いはしませんでした。全員に対して平等の関係を作ることができました。ルイの共演の女性は一番優秀な生徒でした。脚本が書かれてからキャスティングをしたのでなく、脚本を書きながら配役を決めます。共同脚本家の二人に対して、その生徒達の写真を見せ、この子がこの役をすると伝えるのです。したがって、登場人物たちは私の記憶に基づくものであり、無名の私の生徒たちにも基づいてもいます。一方で、たとえば裁判の場面、軍事法廷の場面では、俳優である父に配役を頼みました。歳をとった、全く知られていない俳優を紹介してくれるように頼みました。名優でありながら無名の俳優は沢山います。テレビで見かけたような顔であってはいけないのです。そして、父自身もルイの祖父役で出演しています。父は80歳、息子は20歳、二人を集めて撮れるというのは今回だけではないかと思ったんです。だから家族のシーンに対してはドキュメンタリーのように撮っています。モーリスが自分の遺言のようなシーンをつくるんだ、と自分の孫に向かって言っているような感じがします。近親者とは暗黙に撮影することができます。映画産業は非常に冷たい、厳しい世界です。いろいろな嘘の感情があり、撮影が終わると感情的な繋がりはなくなってしまいます。ですが、近親者と一緒に仕事をすることによって映画産業の冷たさを乗り越えて、自分の動機を高めることができます。撮影が終わってもそうした感情関係が続いていくわけですから、家族に対してはドキュメンタリーのようなものです。そして、常にフランスでのインディー映画の製作は難しいからこそ、私は作る価値のある作品を製作しなければならないと思っています。
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