イントロダクション

“世界が認めた才能”橋口亮輔6年ぶりの復活作は、ずっと心にとどまり続ける、ささやかだけど大きな愛の物語。決して離れないふたりの物語。そしてそれは、いまを生きる私たちの物語。

どんな困難に直面しても一緒に生きていく。ふたりが辿る希望と再生の10年を描く珠玉のラブ・ストーリー

「お、動いた!」小さくふくらんだお腹に手を当て、翔子は夫のカナオとともに、子を身籠った幸せを噛みしめていた。しかし、そんなどこにでもいるふたりを突如として襲う悲劇──初めての子供の死をきっかけに、翔子は精神の均衡を少しずつ崩していく。うつになっていく翔子と、彼女を全身で受け止めようとするカナオ。困難に直面しながら、一つずつ一緒に乗り越えていくふたりの10年にわたる軌跡を、『ハッシュ!』以来6年ぶりにメガホンをとる稀代の才能・橋口亮輔が、どこまでもやさしく、ときに笑いをまじえながら感動的に描きだす。人はひとりでは無力だ。しかし、誰かとつながることで希望を持てる。決して離れることのないふたりの絆を通じて、そんな希望のありかを浮き彫りにする、ささやかだけど豊かな幸福感に包まれる珠玉のラブ・ストーリー。法廷画家のカナオが目にする90年代のさまざまな犯罪・事件を織り込みながら、苦しみを乗り越えて生きる人間の姿をあたたかく照らしだしていく。

木村多江とリリー・フランキーが映画初主演。身を削るような演技が生み出すリアルな感情が、観る人の共感を呼ぶ

出版社につとめ、週3日は夫との「する日」を決めている、何事にもきちんとしなければ気がすまない妻・翔子。彼女を演じるのは、今作が映画初主演となる木村多江(『大奥』『スターフィッシュ・ホテル』)。大きな悲しみから心を病み、やがてそこから力強く再生していく女性の姿を、身を削るようにして演じきり、凛としたたたずまいと繊細な感情を同時に表現した。一方、靴の修理工から法廷画家へと職を変え、頼りなげな夫・カナオを演じるのは、こちらも本格的な映画初主演となるリリー・フランキー(「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」「おでんくん」)。翔子をやさしいまなざしで見つめ、何があっても彼女を受けとめ、支え続ける慈愛に満ちた役柄を、飄々とした表情と体温を感じさせるあたたかな息づかいで好演している。監督の橋口亮輔は「ふたりのドキュメンタリーを撮るつもりでのぞんだんです」と言う。そのようにして収められた彼らの姿からは、演技やフィクションを超えたリアルな感情があふれ出て、観る人の心を揺さぶり、大きな共感を呼ぶ。

稀代の才能・橋口亮輔が6年の歳月を経て辿り着いた新境地。自らの実体験をもとに魂を込めて作り上げた、いとおしさあふれる名作。

前作『ハッシュ!』(02)がカンヌ国際映画祭ほか数々の映画賞受賞と52カ国を超える世界公開で話題となった橋口亮輔。6年という長い歳月を経て辿り着いた本作のオリジナル脚本は、自身が『ハッシュ!』以降に経験したさまざまな出来事をもとに書かれている。人間の悪意が次々と顕在化していった9・11以降の世界、その中で自らがうつになり、闘った苦悩の日々。そこで彼は、日本社会が大きく変質したバブル崩壊後の90年代初頭に立ち返り、自らの人生と世界を重ね合わせ、「人はどうすれば希望を持てるのか?」を検証したと言う。彼が導き出した答えは、「希望は人と人との間にある」ということ。そうやって苦しみを乗り越えた実体験を反映させ、橋口亮輔はささやかな日常の中にある希望の光を、1シーン1シーンをいつくしむ丁寧な演出で浮き上がらせる。6年ぶりの復活作は、観た後もずっと心の中に大切にとどまり続ける、いとおしさにあふれた名作になった。

90年代に起きたさまざまな犯罪・事件……。社会を反映させた物語を個性派キャストが彩る

『ぐるりのこと。』の舞台となるのは、1993年冬から9・11テロに至るまでの約10年間。本作は翔子とカナオの再生のドラマを描きだす一方で、その社会的背景にも静かに迫っていく。カナオが法廷で目撃するのは、90年代から今世紀初頭にかけて起きた実際の事件とその犯罪者たち。宮崎勤による連続幼女誘拐殺人事件やオウム真理教による地下鉄サリン事件など、個人の希望の裏側に存在する社会の負の側面にも目を向ける。加瀬亮、新井浩文、片岡礼子らが登場する当時の事件を反映した法廷シーンも、この作品の大きな見どころのひとつ。倍賞美津子、柄本明、寺田農といったベテランに加え、寺島進、安藤玉恵、八嶋智人ら個性派俳優たちが脇を固め、重苦しい時代の空気を受けとめながらも“ふたりでいることのしあわせ”を見つけ出す翔子とカナオをあたたかく見守る。