エンディングノート

僕はドキュメンタリーを撮る時には「私はあなたではない」という倫理観が前提として必要だと考えて来た。取材対象の内面を他人が安易に語ってはいけないという、ある種の諦めからしかスタートできない方法だと思ってきた。

だから家族や恋人といったいわゆる「身内」を撮影したセルフドキュメンタリーというものが正直好きではなかった。というより、若手の作り手に相談されたら「やめておいたほうがいいよ」と答えるようにして来た。だって語りやすいから。取材する前から知ってるし。もちろんそのジャンルの中に傑作があるのは知っている。しかし、デビュー作にそんな強い被写体を選んでしまったら、次が苦しくなるのではないか?という危惧があったからだ。


にもかかわらず僕の助監督だった砂田さんが「観てほしい」と持って来たのは、娘(砂田)が父を撮り、しかもその父の内面をモノローグでナレーションにしているものだった。

(ケンカ売ってるのか!)と正直思った。

しかしである。この限りなく高くなっていたハードルを『エンディングノート』は軽々と超えて来た。いやぁ面白かった。

それは主人公(父)のキャラクターもさることながら、カメラを向けている人間(娘)の非常に冷静なふたつの批評性(撮られている者と撮っている私の両方へ向けられた)によって、アクロバティックにドキュメンタリーとして成立していた。

それは人間の、生命の、家族のおかしみと哀しみの両方に届いていた。


僕は売られたケンカに完敗してプロデューサーを引き受け、お金まで出してしまった。昨年の8月のことである。

今は怒りもおさまって、ひとりの大変優れた監督の誕生を手助け出来たことを素直に嬉しく思っている。ほんとうに。

製作・プロデューサー:是枝裕和

オフィシャルサイト : http://www.kore-eda.com/

1962年東京都出身。87年に早稲田大学第一学文学部文芸学科卒業後、テレビマンユニオンに参加。主にドキュメンタリー番組を演出を手掛け、現在に至る。95年、初監督作品『幻の光』が第52回ヴェネツィア国際映画祭でオゼッラ賞他多数の賞に輝き、一躍世界にその名を知られる。99年、『ワンダフルライフ』は各国で高い評価を受け、世界30カ国・全米200館での公開され、ヒットを記録する。

04年の『誰も知らない』では、同映画祭にて、主演の柳楽優弥が映画史上最年少となる最優秀男優賞を獲得し、国際的なニュースとなる。08年、自身の体験から生まれた『歩いても 歩いても』が国内外で絶賛を浴び、ヨーロッパ、アジアで様々な賞を受賞する。

その他の作品に『DISTANCE/ディスタンス』『花よりもなほ』『空気人形』がある。最近では、AKB48の「桜の木になろう」のPVを手掛けた。さらに西川美和監督の『蛇イチゴ』(03)、『ゆれる』(06)など、若手監督作品のプロデューサーも勤めている。最新作『奇跡』(主演:前田航基、前田旺志郎)が現在公開中。